第8回  ■フエ院朝王宮は原っぱだった■


  フエ院朝王宮まではシクロでのんびり行こうと思っていたが、日も暮れかかって来たのでバイクで行くことにした。5ドルも入場料を払って中へ入ってみたものの、3階建ての立派な門があるだけで何もない。ベトナム戦争で爆撃されて、ほとんど何も残っていないのだ。塀で囲まれた10ヘクタールもの原っぱが延々と続いているだけだ。ほとんどの観光客はツアーグループで、それも年寄りばかり、若い人は見かけなかった。ひとりでぷらぷらしているのは俺だけだった。
 門の中に入ると、角刈りの学生風の男が流暢な日本語で話しかけてきた。歳の頃は25〜6歳といったところで、白いワイシャツに黒いズボン、気持ちのこもっていないようなクールな喋り方、さしずめ日本で言えば固い銀行マンといった感じか。自称フエ大学の学生。やおら王宮のガイドをマニュアルを棒読みするように始めたかと思うと、一通り喋り終わったのか、「はーい、じゃこれで」とさっさとどこかへ行ってしまった。何だったんだ、今のは…… 若い女の子だったら、あるいは俺がもっと金持ち風に見えたら、きっと付きっきりでガイドするんだろう。二階へ上がってみたら、また彼が現れた。壁画の説明を一通り説明すると、また「はーい、じゃこれで」とどこかへ消えてしまった。
 ぼったくろうと思って近づいたけれど、俺じゃカモにならないと悟ったのか…… ハノイで十分鍛えられた俺にはスキがない! ほっと胸をなでおろした一方、俺には魅力がないのかなと、少し寂しいような変な気持ちになった。
 それにしても、あまりにも見るところがない。小さな教室みたいなギャラリーがあったので、入ってみた。現代ベトナム画家達の作品で、300ドル位から売っているという。俺には絵を買う余裕などないので、許可を得て、それらをカメラに収めた。暗い色使いのアヴァンギャルドな作品が多い。
 3階は狭くて、大きな太鼓が置いてあるだけだった。しかし、そこからはフエの街が一望でき、眺めは最高だった。
 しばらく歩いていると、また絵はがき売りがいた。ただし今度はちょっと暗そうな若い女だ。1袋1ドルで買わないかと言ってきた。7枚くらい入っている。まだ躊躇していると、2袋1ドルではどうかというので、何もない王宮だし、記念に買うことにした。  歩けども歩けども、原っぱばかり、壊れかかった塀のそばで子供がサッカーボールで遊んでいた。やっとコーラを売っている屋台を見つけた。若い女がふたりで店番をしている。コーラを買って話しかけてみると、ふたりは姉妹で、姉は大学生、妹は高校生だという。王宮の中で出会った初めての明るいベトナム人だった。お互いにとりとめのない話をして、別れ際、写真を撮らせてもらった。一生懸命働きながら学校に通っている、すがすがしい姉妹だった。彼女達にエールをおくって別れた。
 途中、フランス人グループを連れてフランス語でガイドしているベトナム人がいた。流暢なフランス語を喋り、年配のフランス人一行は、時々うなずきながら聞き入っていた。俺もその昔、フランス語を勉強したことがあるが、結局喋れるようにはならなかった。ほっそりとした、そのベトナム人は知性的で、しかも、とてもたくましく見えた。
 日が暮れて薄暗くなってきたので、王宮の外に出た。シクロの客引きが寄ってきた。王宮の中では欲求不満気味だったので、シクロのおやじ達と写真を撮ったり、おやじをシクロに乗せて俺が運転してみたり、しばらく遊んでいた。そして一番気のよさそうな、俺より喧嘩の弱そうな男を選んで、どこかビールの飲めそうなところへ連れていってもらうことにした。
 フエの街いたるところショーウィンドーに花嫁衣裳が飾ってある。どこも3坪くらいの小さな洋裁店だ。貧しいベトナム娘にとって、花嫁衣裳を着ることが一種のステイタスシンボルであり、夢なのだろう。
 あるところでは、白装束に白鉢巻のいでたちの人々を見た。新興宗教の集会で教祖がアジ演説でもやっているのかと思ったら、葬式だとわかった。
 どの店も田畑の真中にぽつんぽつんとあって、1件1件が離れている。ある店でビールを注文したら、いきなり4本もテーブルに並べられた。しかも冷えていない。氷を入れて飲むのである。おしぼりが2本、皿の上に乗ったタバコが4本。どちらも手をつけたら金を取られる。ビールは2本返すことにした。冷えたビールを求めてあちこち探してみたが、どの店も同じだった。そもそも冷蔵庫がないのである。
 やっとレストラン風の飲み屋にたどり着いた。ベトナム人でけっこうはやっている店だ。夫婦ふたりで店を切り盛りしている。美人の奥さんは料理担当、愛想のよいおやじはもっぱら接客係だ。自家製の赤ワインを飲んでみろという。まあまあの味だった。シクロのおやじが「俺のおごりだ」と言ってデキャンターワインを注文してくれた。でも、最後に金を払ったのは俺だった。料理は中華風ベトナム料理でまあまあうまかった。ビールも冷えていた。店はちょっと薄暗いのだが、おやじの感じがよいのでいい気分になれた。
 シクロドライバーの名前はレーバン・ホーン。ドライバーになったのは4年前、それまでは工場で働いていたという。35歳で、子供が2人いる。工場をやめた時、女房には逃げられてしまったそうだ。日焼けのせいか、苦労したせいか、かなり老けて見える。俺より年上かと思ったくらいだ。
 明日はバイクを借りてくるから、それに乗せて色々案内してあげようという。明日はニャチャンへ発つ予定だから必要ないと断ったのだが、なかなかきかない。ホテルの前にはほかのバイクタクシーがいるから、ホテルまでは行かれないが、朝9時に通りの出口で待っていると言い張った。今日のシクロドライバーが、明日はバイクタクシードライバーになるなんて聞いたことがない。あまり熱心なので、じゃあ、午前中だけ、という条件でしぶしぶ受けることにした。
 勘定を済ませると、ベトナムコーヒーをごちそうしようと、レーバン・ホーンに誘われた。途中、沢田教一の写真で有名な橋を渡った。ベトナム戦争で爆破されて、今は新しく作り変えられた橋、とても感激だった。かなり人里離れたところまで来てしまったので、大丈夫かとホーンに訊くと、もうすぐだという。やっとのことで、人家の庭みたいなところにあるカフェに着いた。オープンテラスになっていて、真っ暗なところに14インチのテレビがあって、MTVベトナム版の流行歌をやっていた。アルコールランプで淹れる本格的なデミタスコーヒーで、コンデンスミルクをたっぷり入れて飲む、濃くて甘いコーヒーである。
 ホーンは酔いにまかせてしゃべりっぱなしだ。俺はうんうんといちいちうなずいていた。ハノイにもいたことがあるそうで、よく犬料理を食べたという。フエにも犬を食べさせるところがあるが、行ってみないかと誘われたが、もう腹がいっぱいで食えないと断った。
 今度は女はどうかと言って来た。また30分くらいかかって別の民家に連れて行かれた。しばらく待たせられたあげく、顔を白く塗りたくった、おばさん風の女がやってきた。俺のまたぐらをつかんでビールを飲もうという。ハイネケンが3本、運ばれてきた。家は薄暗く、幽霊でも出そうな気配だ。薄気味悪くなって、逃げるようにそこを出た。ホーンは他にもっといい女がいるといって、また俺をどこかに連れて行こうとした。夜のフエ見学は一通り終わったし、明日の朝早いからホテルに帰りたいと、かなり強い口調で言った。それじゃあ、朝9時にバイクで迎えに行くからと約束を繰り返し、ようやく解放されることになった。彼はそれほど悪いやつには思えなかった。
 やっとの思いで俺の泊るタイビンホテルに戻ってきた。タイビンホテルの前にある日本人専門のホテルビンジュオンが、やけに騒がしい。気になって行ってみると、若者が酒宴を催していた。吸い込まれるように中にはいって、俺も酔いにまかせて酒宴の輪に加わった。若者の中には東大生や京大生もいる。女子学生もいる。長年旅を続けているというおやじが、ベトナムの焼酎を勧めてきた。飲むと舌が焼けた。明日はフエを出なくてはならないので、なめる程度にしておいた。ここフエは、ラオスの国境ラオパオにも近く、ラオスやベトナムの北や南からやって来た旅人が集まっている。俺も去年旅したラオスの話をしたり、ベトナムの情報交換をしたり、話に花を咲かせた。
 ホテルビンジュオンはオール日本人客で満室、オーナーのホワンは25歳くらいのプレイボーイ風。一見かわいい女子大生は、ホワンに連れられて、犬料理を食べてきたそうだ。それを聞いてその女が急に醜く見えてきた。ホテルビンジュオンの名刺には、"KIMIKO'S HOUSE"と書いてある。KIMIKOというのはホワンの彼女だったらしいが、今は日本に逃げ帰ってしまったということだ。ホワンは日本とベトナムを行き来し、日本語もけっこう喋れる。それにしても、どうしてこうも日本人は群がりたがるのか。ここだけベトナムではないような妙な気分だった。そういう俺もいっしょに群がって、旅の一時を楽しんだのだが……
 不思議なことに、ここの学生諸君はほとんどが王宮に行っていないという。しかし、俺も行ってみてがっかりしたわけだから、5ドルも払ってまで行くほどのこともなかろう。
 時刻が12時をまわった。ホワンのお母さんがやって来て、もうお開きにしましょうと言っているようだった。俺も明日は旅立つので、自分のホテルに帰ることにした。俺の泊るタイビンホテルは打って変わってガラガラ、エレベーターが一応あるが、動いているのを見ることはなかった。単なる飾りなんだろうか。
 次の朝9時過ぎ、ホテルの路地を抜けて大きな通りへ出ると、ホーンがバイクドライバーに変身して待っていた。俺もあきらめて彼のバイクにまたがり、朝飯を食べに行くことにした。
 郵便局の前にある、フエ名物ブンボーフエという米粉ラーメンの店に入った。店内はかなり広い。JALの仕事で来ている日本人カメラマンに会った。色々話をしているうち、彼はジャズファンで、h.s.artでもおなじみの中村誠一(TS)にサックスを習っていたこともあるということがわかった。俺がフエを発ったあと、彼を俺の代わりに案内すればどうかとホーンに言ったのだが、彼にはレンタルバイクがあって、さっさと行ってしまった。ブンボーフエは、日本のラーメンになれているせいか、さほどおいしいものではなかった。スープにもなじめなかった。
 さて、いよいよ出発の時間がせまってきた。午後の汽車でニャチャンへ行くつもりなのだが、きのうはチケットを取ることができなかった。直接フエ駅へ行ってキャンセル待ちをするか、いきなり汽車に飛び乗ってから交渉するか、どちらかにしようと思っていた。ホーンにホテルまで送ってもらい、お礼として1ドル渡すと、もう1ドルくれという。朝飯をおごって、店とホテルの往復だけなのに、と思ったが、借り物のバイクであちこち俺を案内して一稼ぎしようとホーンも目論んでいたのだから、もう1ドル気持ちよく払ってあげることにした。
 大急ぎで荷物をまとめ、ビンジュオンホテルへ行った。このホテルには駅で働く人にコネのあるスタッフがいるのだ。彼のバイクにまたがって、フエ駅へ向かった。大急ぎでチケットオフィスへ行ったが、やはり駅員はチケットはないという。ビンジュオンホテルのスタッフがかけあってくれているが、どうしてもだめだった。駅長にも頼んでみてくれたが、だめだった。
 こうなったら汽車に飛び乗るしかない。改札口を通るには入場券を買わなければならない。彼の分まで買って中に入った。すると、女の駅員が来て、ここで何をやっているのかと言わんばかりに文句を言って来た。とっさに今度の汽車でやって来る友達を待っているのだと言い訳をしたが、通じたかどうか……。女の駅員が行ってしまうと、さっきの駅長がやって来て、また注意された。何もかも筒抜けになっているみたいで、ビンジュオンのスタッフもヤバイから出ようという。彼の立場まで悪くしてしまいそうなので、あきらめざるを得なかった。ああ、これでハノイ〜サイゴン統一鉄道でベトナム縦断の夢はもろくも崩れ去ってしまうのか………

つづく


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