第4回  ■ハノイジャズクラブ、そしてクワン少年との出会い■


 昨日は嫌な思いをしたので、今日はひとりでホテルを出た。すると、絵はがき売りの少 年に再会した。実はこの少年とは一昨日初めて出会って、一晩行動を共にしたのだっ た。
 一昨日初めてのハノイの夜を楽しもうと、ホアンキム湖のほとりを散歩していると、し つこく着いてきた。そんなに無理に絵はがきを売りつけるわけでもなかったけれども 、最初は追い払っていた。湖畔のビアレストランに入ると、さすがにそこまでは着い て来ず、俺のことは諦めたかに見えた。しかし、レストランから出ると、また着いて きた。俺はハノイのジャズクラブに行こうと思っていたのだが、少年はまだ着いて来 る。片言の英語で一生懸命に話を合わせてくれるので、色々話しているうちにだんだ ん気が合ってきた。1杯くらい何かごちそうしてやろうかという気になって、いっし ょに店に入ることにした。
 この絵はがき売りの少年の名はクワン、年齢は16歳。どうやらジャズの生演奏を聞 くのは初めてのようで、最初はきょとんとしたまなざしでライブを見つめていた。そ のうち、だんだんに気に入ってきたのか、夢中なまなこでライブを凝視し始めた。そ の光景は、俺が初めてニューヨークのジャズクラブで聞いた時の熱き情念をよみがえらせた。 昔の自分と目の前の彼の姿が重なって、あまずっぱい、なつかしい思いに満たされた。そ の細く、澄んだ、熱いまなざしは、感動ものだ。まさにシャッターチャンス!と思ったの だが、そういう時に限ってカメラを持っていない…… シャッターチャンスなんてそんな ものだ。
 こんな風に実に楽しいひとときをクワン少年と過ごしたのだった。周囲は怪訝そうに俺 たちを見ているが、そんな視線などまったく気にならない。  "Take the A train""My one and only love""黒いオルフェ"……途中から女性ボーカリ ストが加わって"イパネマの娘""Lullaby of bird- land"などを歌った。正直に言って、 あまりうまいボーカルとはいえない。でも、日本のボーカルによくあるような単なるもの まねとは違って、それなりのフィーリングがあった。バンド編成は、ドラム、4ビートプ レイなのになぜかエレキベース(ウッドベースがないのか、それとも奏者がいないのか) 、ピアノ、テナーサックス、アルトサックス。サックスを吹いているのは、このジャズク ラブを経営しているミンさん親子である。ミンさん以外はみんな若者ばかり。演奏は、今 思い返してみてもあまり印象に残ってはいないが、その時はまあまあだと思って聞いてい た。
 このジャズクラブには名前がない。看板には"JAZZ CLUB by QUYEN VON MINH"と書いて ある。もらった名刺には"CAU LAC BO NHAC JAZZ"とも書いてある。 ハノイにはジャズクラブは1件しかなかないということなのか、"ジャズクラブ"という名 のジャズクラブなのである。
 ミンさんはおだやかな人で、終始笑みをたやさず、よきオーナー、よきサックス奏者、 よきホストとして客に応対していた。息子の方は「どうだ、うまいだろう。」と言わんばか りに、常にソロを取りつづけている。ちょっと天狗になっているようだった。ハノイジャ ズ界の将来を期待されているのかもしれない。なんでもアメリカのバークレイ・ミュージ ック・カレッジに特待生として留学するのだそうだ。今の日本では猫も杓子もバークレイ という風潮だが、せいぜい頑張ってほしいものだ。
 店内には日本人の観光客がけっこういる。 また、ベトナムで日本語を教えている、ベ トナム語はあまり話せず、英語も苦手という日本人女性たちがわいわい騒いでいる。とび いりで日本のフォークソングを弾き語りで演奏している変な日本人ギター青年もいる。カ ラオケ、いやプラスワンオーケストラと勘違いしているようだ。それでもミンさんは営業 上か、いやな顔ひとつせず、伴奏をつけていた。彼もまた、日本語を教えているそうだ。 その他は白人の客でごったがえしていた。
 壁にはクリントン元米大統領がサックスを吹いている写真がかかっている。かつての敵 国の大統領である。なんと奇妙な光景だろう。ミンさんに尋ねてみた。あの北爆をし、枯 葉剤をまき、ソンミ村の虐殺をしたアメリカの音楽をやって、まわりのハノイ人は非難し なかったのか。ミンさんが言うには、最初のうちはそういう人もいたけれど、だんだん理 解されるようになった(ほんとかなあ)。ジャズはミュージックである。アメリカだけの ものではない。もっとインターナショナルなものだと……
 それはそうだ。日本でも同じだ。敗戦後の日本ではGHQ放送を聞きながら、米軍キャ ンプで演奏して、日本のジャズを育ててきた。しかしハノイにはGHQもキャンプもない はずだが……
 隣りのテーブルに座っていた男二人、女二人の4人組みがすごかった。ゴードンジンを ボトルキープして、ストレートで、オンザロックでがぶがぶ飲んでいた。そのうちの一人 が急にステージに乱入すると、バリトンサックスを吹き始めた。それから1時間くらいで しゃばり過ぎるくらい吹きまくっていた。音はまあまあとしても、何にでも首をつっこん で吹きまくるのには最後にはあきれ果ててしまった。
 やっと客席に戻ってくると握手を求められたので、"You play good"と言ってやったら 名刺をくれた。そこにはまずmusicianと書いてあって、ハノイオペラハウスのvice direc tor(副支配人)とあり、ministry of culture information of Vietnamとなっている。 さしずめベトナム文化省の役人といったところか。政府のおえらいさんだから、ミンさん も文句を言わず吹かせていたのだと一人納得した。オペラ座の怪人ならぬ、オペラ座の役 人だ。
 次の日、観光客としてオペラ座に行ってみた。建物は立派で、パリのオペラ座に全くひ けを取らない。日曜日だったので中には入れなかったが、外で映画かテレビの撮影をやっ ていた。ぼったくりプリンスホテルの奴が言うには、ハノイの有名タレントだという。花 嫁衣裳やモーニング姿のタレントたちを、まわりの人たちが思い思いに撮影していたので 、俺も便乗して撮影した。日曜日だったので、例のオペラ座の役人には会えなかった。
 その日のライブが終わって外に出ると、すっかり暗くなっていて、昼間の景色と全く違 っている。自分の泊まるホテルがどこなのか、わからなくなってしまった。クワン少年が 俺をホテルまで導いてくれた。俺一人だったら無事ホテルまでたどり着けたかどうか…… 次の日も会おうと約束したのだが、次の日、クワン少年は現れなかった。彼とまた会って いれば、あのぼったくり作戦には合わずにすんだのに、と思うと今でもちょっと悔しい。

つづく


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