(このページは上が最新の日記になっています)

トップに戻る

04/02/27 琺瑯看板哀歌 其の壱

かつて昭和と呼ばれていた時代にはどこにでもあったホーロー製の看板。
しかし平成という元号になった今、ふと思い出して捜そうとしてもなかなか見付ける事ができない。

ということで、決して忘れてはいけない昭和の遺産を探索する旅に出た。

浪花千栄子さん演じるところのオロナイン軟膏の宣伝看板。
陽に焼けて劣化したあなたにこそ軟膏をお勧めしたい。


そのお庭にはこんなチャーミングなベンチが日向ぼっこをしていた。

03/05/10


Hello, Mr. "JinjaBukkaku".

02/06/19

仕事帰りの夕暮れ時、何を思ったのか普段通るバイパスを避け、旧道に車を走らせていた。
そこは車の通りが全く無く、何か時間が止まっているような感じだった。
しばらく走っていると、見覚えのある看板にふと目が止まる。

HONDA MOTOR

かつてホンダの販売店だったそこには、埃で薄汚れた電光板が掛かっていた。
しかしすでに廃業してから久しいのか、店にはホンダたちの姿は見られない。
全盛期にはカブ号が何台も忙しく出入りしていたことだろう。

何気なくふと迷い込んだ通りで、ほんの一瞬だったが、昔にタイムスリップしたような感覚を覚えた。
またいつか訪れた時にも、そこにHONDA MOTORがあることを祈りつつ、その場をあとにした…。


02/06/11


近くの神社にて小休止…

02/05/26
A new friend...

02/03/28
Welcome!, Mr. Honda...

02/03/24
今日は子供を連れてツインリンクもてぎに遊びに行ってきた。
昨日から春休みのイベントが始まっていて、今日の息子の一番のお目当てはウルトラマンコスモスショー。
余裕をもって行ったはずだったが、会場はすでに超満員。コスモスが怪獣と戦っている間ずっと肩車をする羽目になってしまった。
 
ファンファンラボではASIMOとP3のステージがあった。
デモを見るのはこれが初めてでは無いのだが、いつ見ても感動で胸がいっぱいになってしまう。
本田宗一郎さんは今ごろ天国で、ASIMOたちをどのように見ているのだろうか…。
コレクションホールではホンダの原点となった名車たちのデモ走行が行われた。
 
左は1952年のカブF。「白いタンクに赤いエンジン」で親しまれた自転車用補助エンジン。意外と速いのには驚いてしまった。
右は1949年のドリームD型。エンジン、フレームともに初めて自社設計により造られたモデル。「まるで夢のようだ」と感激したところからドリームという愛称が付けられた。
 
左は1963年のT360。記念すべき初の市販車。そのファニーなマスクとは裏腹に、DOHC4気筒の総アルミエンジン(排気量は360cc!)・4キャブレターをミッドシップマウントさせている。
右は1963年のS500。初の本格的スポーツカー。まるでバイクのようなその排気音にウットリしてしまった。


今日は一日中天気も良く、『シャララ〜ラ…』なんて口ずさみながら、ホンダの歴史と未来を同時に体験することが出来た!


(あっ、ウルトラマンコスモスは違うけどネ…。)

02/01/22
1960年代の日本におけるレースシーンを語る上で、決して忘れることが出来ない二つのブランドがある。
それは『レーシングメイト』と『VANジャケット』。
その当時のレーシングカーにはスポンサーメーカーであるこれらのロゴが実にカッコよく光っていて、
自動車少年たちみんなの憧れの的になっていた。

残念ながら僕は60年代の終りのころに生まれたので当時を知る由も無いのだが、
みんなが若くて元気で熱い、そんな素敵な時代だったのだろうと想像する。
そんな時代を愛して止まない[Honda Room]のノンキーさんより、素敵な贈り物が今日届いた。

ノンキーさんどうもありがとうございました。こんなツナギが前から欲しかったんです!

01/11/30
HONDA RA273がやってきた!
RA273とは1966年イタリアGPに初めて出場し、
翌年には南アフリカGP・西ドイツGPで活躍したホンダのF1レーサーマシンである。
その1/20スケールであるダイキャストモデルが今日届いた。
今回購入したのはホンダダイレクトマーケティング社MMP社製作)の限定バージョンであり、
ゼッケンNo.7のジョン・サーティース号。(通常版はゼッケンNo.18のリッチ・ギンサー号
通常版と比べてゼッケンナンバーが違うのはもちろん、
エキゾーストパイプやバックミラー、またフロントノーズ部分が異っている。
前回購入したRA300と同様でプロポーション抜群、細部のディティ―ルも文句無し。
ホンダファンならずとも是非手に入れておきたい一品である。

前回購入したRA300(右側)と並べてパチリ

01/11/17
今日、念願のC100が納車になった。
しかも幻の1958年モデルだ!
フロントフェンダーが一見ホワイトに見えたり、
マフラーがC50のものに見えたりするが、
まぎれもなく初期暫定配色タイプの最初期型だ。
これまで58年型は世界にたった一台しか現存しないと言われてきた。

今日は朝から晴天に恵まれたので、
久しぶりにガレージからS800とN360を引っ張り出し
ガレージの前で一緒に記念撮影。
う〜ん、実に幸せの極みである…。



(以上はすべてフィクションであり、
画像のC100は最近発売されたグリコのアレである。)

01/11/16
今年の夏は暑かった…。
お陰で子供達に大人気のカブトムシやクワガタムシが
いっぱい採れた。
うちから車で15分、ヒミツのポイントがある。
そこには樹液がぬらぬらと光っているクヌギの木があるのだ。
深夜の1時ごろ、懐中電灯を片手にそっと行ってみると、
いるわいるわ、そこはまさしく昆虫王国。
カブトムシを筆頭に、コクワ、ノコギリ…。
子供の喜ぶ顔を思い浮かべながら必死に虫捕り網を振るって、
それぞれ少しづつ虫籠に入れて持ち帰った。

季節は変わり、今ではもうすっかり冬。
ここのところ姿を見せなくなったので、
てっきり土の中で冬眠していると思っていた。
しかし今日の夕方何気に籠を見てみると、
土の中から出てきたコクワが元気に動き回っていた。
久しぶりにえさのゼリーをあげながら、
今年の暑かった夏を懐かしく思い浮かべた…。

01/11/11
祝七五三

     

01/11/10
アラジンのブルーフレームがやってきた!
1961年くらいのシリーズ15(後期型)と呼ばれるモデルだ。
外箱もあり、付属のウイック・クリーナーも一緒に付いてきた。
前の持ち主はずっと使っていなかったらしく、
埃や汚れが結構あり、芯も固着して動かない状態だった。
しかしちょっとバラして肝心なところを磨いてやったら、
さすがアラジン、すぐに青い炎を見せてくれた…。

01/11/04
今日は小山市の部品交換会に行ってきた。
夜中の1時前には現地に到着したが、
すでに長蛇の列になっていた。
少しずつ列が進むため車の中で寝るわけにもいかず、
この時間帯に2時間以上寝ずに待たされるのは結構ツライ…。
一般見学者が会場内に入れるのは2時とのことだったが、
車両規制をしているため結局中に入れたのは3時になってしまった。
生憎の空模様で、かなり雨足が強かった。
てっきり屋根付きの倉庫の方で行われるだろうと思っていたのだが、
いつもと同じ場所で雨に打たれながらの交換会となった。
最初のころは雨のため店を開けない出店者も多かった。
ようやく雨が上がったのは4時半くらいだったろうか。

この日特に目に付いたものとして、
かなり綺麗な
イーハトーヴが9万で売られていた。
走行距離も少なく、キック一発でエンジンもかかった。
この車両は前にも見たことがあったが、その時は12万で売られていた。
なかなか売れなかったようだが、やがて若いお兄さんが買っていった。

別なところでは
バイアルスも売られていた。
タンクは最初期のブルーだったが、実際は74年のモデルであろう。
シートが欠品、全体的にサビサビ、きっと実動車では無い。
値段を聞いてみると、2万5千円。「冗談でしょ?」

あと、
モンキーのM型で30万というのがあって、
かなりの人だかりをつくっていた。
状態は年式相応というところ、欠品は無さそうだった。
手頃な値段というのもあって、すぐに買い手が決まったようだった。

C100系カブの車体も探していたが、今日は出ていなかった。

★結局この日買ったもの★
 別冊モーターサイクリストとアウトライダーまとめて10冊くらいを1000円
 パーツクリーナーを400円
 プレスカブの前のかごのところに付いているライト2個を300円(イーハトーヴ用にと)


交換会を後にして、午後はある方のところにお邪魔した。
最近インターネットを通じて知り合った方なのだが、
すばらしい数々のバイクのコレクションをなさっている。
1960年代のホンダ車を中心として、
今は無きヤマグチ、メグロ、トーハツ、珍しいところではヘルスのエムロ号なんてのがあった。
個人的には1960年型のC100が一番気にいった。
    
1960年型C100(未再生原型車)

「白いタンクに赤いエンジン」でお馴染みの1952年型?Fカブ

トップに戻る