淡い感情を描く
たとえそれが拙くても

いろは


洞機能不全症候群。

それが少女の病名。
ドウキノウフゼンショウコウグン。……

――なんのことだか。
彼女は思う。

ドウケッセツノキノウガソガイサレシンフゼンガオコル。

何度も聞かされた言葉。呪文みたいだ、と思う。
まだ幼かった頃、その言葉に恐怖したことを憶えている。手術を受け、胸にペースメーカーを入れた。
少女が、胸に残った傷痕を代償に手に入れた、生。それが狂いはじめた。原因は携帯電話やPHSの電磁波だった。

――ドウキノウフゼンショウコウグン。
(まるで呪いの言葉のよう)
いつもつきまとう。
彼女自身に、そして周囲にも影を落とす。そう思ったからこそ、2度目の手術は拒否した。

春。
「ん。……」
風が舞って、彼女の短い髪を弄ぶ。しかし為すがままにいろはは立っていた。かすかに桜の匂いがした。
思わず、声にならない声が漏れる。
立ち入り禁止。
ここはそう入り口に張り紙された場所。建物の一部として作られたのに、人が立ち入ることが出来ない場所。許されない場所。
(なぜだろう)
彼女は思う。
なぜ、場所として存在しているのに人がそこに入ることが禁じられるのか。
理由は明白だけど、とひとりごちる。けれど、だからこそここに彼女はいた。
校舎の屋上。
そこは彼女の場所。放課後になると大村いろはは決まってそこにいた。
(なぜだろう)
その疑問はいつも自分に投げかけられる。答えは出ていた。だからその問いかけはただの確認に過ぎない。
(なぜだろう)
何度も何度も確認する。それはこの屋上に初めてきたときから、繰り返し確認されてきたこと。
――違う。きっと、ずっと前からかな。
ふとそう思って、良く晴れた空を見上げたとき、大きな音がして小さな声がした。
「あれ。誰かいる」
振り向くと屋上の扉を開けて、見知らぬ少女がこちらを伺っていた。
「そんなところにいると危ないですよ」
少女は重々しい音をたてながら扉を閉め、軽いスッテプで近づいて来た。
(小さな子。一年生かな)
そう思いながら、
「ううん。べつに危険じゃないよ」
と答えた。
「でも、立ち入り禁止って書いてありましたけど」
少女は間近までくるとそう言って微笑んだ。眼鏡をかけた小さな女の子だった。その眼鏡の奥で瞳がくるくる周っていた。
いろはも外していた眼鏡をかけて、少女を見た。
(可愛い子)
そう思いながら
「……ここ、どこだろう」
と尋ねた。
「え。……屋上、ですよね」
少女はちょっと考えて答えた。その仕草が愛らしい。
いろはは首を振って少女に答える。
「ここも学校だよ。屋上だけど、校舎の一部でしょ。……それなのに立ち入り禁止って変じゃないかな」
(私と同じなんだよ)
そう言いたかった。
普段、感情をあらわすことが苦手な彼女だが、このときはさすがに顔が曇ったらしい。
少女はその表情と質問に少し戸惑っていたが、
「わたしね、この学校に天文部があるって聞いて、とっても嬉しかったんですよ」
と言いながら、フェンスに手をかけた。
「わたし、稲穂歌奈っていいます」
「歌奈ちゃん」
いろははつぶやくように少女の名前を繰り返した。
はい、と元気良く歌奈は答えたあと、
「難しいことは分からないですけど、歌奈、星座が大好きなんです。それで、クラブは天文部に入ろうって思って、下見に来たんです」
と瞳を輝かせた。
「クラブの教室なら」
「いいえ。この学校で一番、星に近いところを探してたんです」
そしたら立ち入り禁止でしたと言いながら歌奈はにこにこと笑った。
「もったいないですよね、こんなにいい場所なのに。だから、立ち入り禁止でも入っちゃいました」
いろはは、そう言って舌を出した少女に、
「私は大村いろは。実は私も天文部の二年生。幽霊部員だけど」
と少しはにかんで答えた。

……

それからすぐ、世界が終わることが決まった。
その決定が為された次の日、二人とも学校に来るとそのまま屋上に向かった。そして体育用の白いマットを敷いて寄り添ってうたた寝をして過ごした。かたわらには大きな望遠鏡もある。ときどき星を眺めた。ほかに必要なものはなかった。
それが二人の終末の過ごし方になった。
何日が経っただろう。
ある日、日だまりの中で歌奈は、
「歌奈ね、センパイのコチコチって音、大好き」
寝返りをうちながらつぶやくように言った。
(幸せそう)
こんなとき、歌奈と知り合えて良かったといろはは思う。
思わず笑みがこぼれる。風がほとんどない。太陽と小さな雲だけがあった。
「音、気になるかな」
その音は普段聞こえない。周囲が静かなとき、時計の秒針の音のようにかすかに耳に届く。
耳障りだと思っていた。
――ドウキノウフゼンショウコウグン。
その言葉と共に聞こえてくる忌まわしい音。
しかし、歌奈にそう言われたとき、自分でも驚くほど穏やかな音に聞こえた。
「ううん。気持ち良いの」
歌奈はそう答えると寝入ってしまったようだった。
いろはも目を伏せた。
音が聞こえた。鎖骨の下に入っているペースメーカーが正確に時を刻む音。
それは彼女の命の音。
少し早まった鼓動が落ち着いてきた。この音を聞いて気持ちが落ち着いたのは初めてかもしれない。
手術を拒否してから2年。歌奈といるときだけは、まだこのペースメーカーが機能していることを誰ともなしに感謝した。
そして、この穏やかな気持ちのまま、言わなければならないことを言えたことが嬉しかった。
「歌奈、好きな人ができたんでしょう」
「え」
少し驚いたように歌奈は目を覚ました。
「最後は好きな人といっしょに過ごすのがいいよ」
歌奈は大きな目でいろはを見つめて、はいと言って微笑んだ。
「ほら」
そのとき、軋んだ音がして屋上の扉が開いた。

……

数日後、世界は予定通り終わった。


End


はい、SS第二弾です。今回は「終末の過ごし方」の大村いろはと稲穂歌奈ちゃんを書いてみました。
しかし相変わらず、「行間を読む」って範囲から抜け出てませんね、私のSSは。(^_^;;) ただ、今回こだわったのは、!や?の感嘆符を使わないことと、括弧や鍵括弧の中では感情を出した表現をしないってことです。わかりやすく書くと、
「いやぁんー!お兄ちゃんのえっちぃ!!(^x^)」
って言うのと、
「嫌、お兄ちゃんのエッチ」
と言うのとでは、どちらが良いかってことです。(ヲヒヲヒ^_^;;)
まあ、その辺は私のこだわりです。(笑)

ちなみに蛇足ながら、文中に出てくるペースメーカーの「コチコチ」って音は、私の知ってる人のを参考にしてます。実はこの方も、私にとってお世話になった「センパイ」なんですけど、(笑) 周りが静かだとかすかに聞こえるんです、音が。ご本人は気にしてらっしゃいましたが、私は少し心地よかったりして。そんな思い出があります。……
いろはのそれが音のするものかはゲーム中の表現にはなかったのですが、そこはそう言う経緯の私の創作です。


Sat, 01 Jan 2000 さむな

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