武田論文集(World Planning Schools Congress in Shanghai 2001 報告原稿和文編)  「鉄道の存在を軽視しようとする日本列島  ー日本の国鉄改革、神話の背後にある現実、批判的地理学の立場からー」 1、はじめに  今日、世界的な規制緩和・民営化潮流の中、日本の国鉄改革(分割民営化)の「成功の神話」が流布されている。しかしながら、日本の国鉄改革の結果として、鉄道ネットワークが具体的にいかに変化し、その後日本の交通体系がいかに変化していったかについての、包括的な分析は不十分である。ここでは、日本の国鉄改革(分割民営化)の手法・特色を踏まえ、その結果としての鉄道ネットワークの変化の傾向を指摘し、その背景となる諸要因について検討を加えていきたい。 2、日本の国鉄改革(分割民営化)の特色  では、日本の国鉄改革、すなわち分割民営化政策の特色としてはどのような点が挙げられるであろうか。国鉄改革自体がきわめて複合的であるが、ここでは次の4点を指摘していきたい。  まず第一に、世界的な民営化・規制緩和潮流からの強い影響を受けている点である。つまり新保守主義すなわち、新古典派経済学理論を根拠としており、精緻な価格理論に基づた経営効率の姿勢がその背景に存在している。世界的にも、英米系の各国を中心に公共的公益事業の規制緩和が一挙に進み、世界的な「規制緩和潮流」が出現していた。格安航空会社の台頭、地方バスサービスの入札による効率的運営とサービス向上、これら海外の事例が、大きくPRされた。日本政府部内でも、第二次臨時行政改革調査会他で、すさんだ労使関係を含めて日本国有鉄道の改変が中心テーマとなり、槍玉に上がった。経営改善が進まず、赤字・長期債務ばかりが膨れ上る日本国有鉄道を何とかしたい。巨大組織の改革のためには大きな地殻変動が必要である。「分割民営化」という異なる2つの改革テーマを複合し、ショック療法的に実施していこうと企てられたのである。  効率優先のためには、区分会計すなわち線区・支社毎に会計をセグメント化し、明確に数字に表われるようにする必要がある。内部補助等の会計内容を明確化できないような要因は排除した方が良いはずである。しかしながら、全国1本では大きすぎる経営規模も、鉄道運営体としてどのぐらいの規模が適正であるか、という明確な議論も存在しなかった。内部補助については、ローカル線維持を含めた公共性の確保の担保とするため、JR新会社の内部に残されることになった。改革不徹底の実例である。  第二の特色として分割の手法が挙げられ、「上下分離」ではなく「地域分割」となったことである。上下分離とは欧州各国で主として用いられた手法で、鉄道の通路施設(インフラ部分)と車両を含めた運行管理面や営業活動面を分離し、道路や航空などと同様な形態にしようとするものである。ところが日本では貨物を例外として「地域分割」が採用され、鉄道会社は民営であってもインフラ・通路施設も含めて運営されるべき、とされたわけである。  地域分割にあたって、まず「三島」(北海道・四国・九州)の分割はすんなり決まったが、「本州」をどのように分割するかで、様々な観点を検討する必要に迫られた。まず、地域分割の背景としては、鉄道利用のポテンシャルと日本的な組織の排他的性格、その賦存状況が存在する。日本の大都市圏への人口集中は今日においても甚だしいものがあり、鉄道利用者数・鉄道分担率は世界的にも稀な高い水準にある。まず、この旺盛な鉄道旅客需要をうまく分割後の新会社(JR)に配分・帰属させ、各社の経営基盤とすることが意図されたわけである。  さらには、日本の大都市圏には大手私鉄各社が存在しており、競合線区では歴史的に国鉄を相手に幾度もライバルとしてサービス合戦を挑み、国鉄側が苦境に追い込まれることが少なくなかった。また日本の大手私鉄資本が、関連事業を含めて開発利益の還元によりそれらを鉄道事業に内部化させ、鉄道事業が採算裡に運営されている様は、世界的にも例を見ないものである。そして私鉄各社の地理的賦存状況は、いわば戦国時代のような「群雄割拠」状態のまま、市場分割した区域を地域独占しているのである。地域独占の私鉄各社は、沿線イメージの高揚と良質なエリア内沿線住民の確保を目指して、競い合ってサービス向上させてきた歴史は、国鉄改革の実施に並々ならぬ影響を与えたのである。  第三には、分割後のJR新会社間での収益調整機能が挙げられる。これは、新幹線の収益配分と経営安定基金による調整である。今後の収入源と見られた新幹線のうち、当時開通していた各線を本州会社に配分し、それに内部補助させるローカル線等の在来各線で、本州会社を構成させることにしたわけである。新幹線の中でも、東海会社に帰属させる東海道新幹線(東京〜新大阪)の収益性は他を大きく引き離すものであったため、国鉄時代の長期債務の引き継ぎ額も巨額となった。また当初は新幹線資産が「保有機構」からのリースであったため、本州会社の財務体質を圧迫することにもなった。このため、4年半後に本州各社は新幹線資産を簿価により自社で買い取ることにし、株式上場への途を整えることにした。  なお本州会社の境界線は、一部を除き旧鉄道管理局(支社)での境界を準用し、地形学的な区分(フォッサマグナ、内帯と外帯)をほうふつとさせるような入り組んだ地域区分となった(その結果、中央日本の長野県内は3分割となった)。本州会社の数については、電車特定(国電)区間を有する大都市や新幹線各線の賦存状況を考慮した結果、次の3社に決定した。  会社名  本社所在地 帰属新幹線  東日本  東京    東北・上越新幹線(東京〜盛岡・新潟)  東海   名古屋   東海道新幹線(東京〜新大阪)  西日本  大阪    山陽新幹線(新大阪〜博多)  これらの本州3社は、運営によっては黒字も予想され、その利潤を国鉄長期債務の返済に当てようと企てられたわけで、債務額決定への調整弁として各新幹線が利用されたのである。ただ「三島」会社や貨物会社とは収益性の上で大きな落差が存在すると考えられたため、別の収益調整機能が必要となった。これが、経営安定基金(「三島」会社)やアボイダブルコストによる線路利用料の決定(貨物会社)である。  しかしながら、JR各社には内部補助を前提としたローカル線を多数抱えたまま発足し、経営努力によって維持すべきとされたため、各社は合理化・効率化を徹底させることを強化していった。このため、採算性による露骨なセグメント化、つまり線区や輸送分野を採算性によって重点分野と軽視分野とに峻別させた。  この結果、前者の幹線については新規投資による輸送サービスが拡充され、颯爽と新型特急電車が快走していくことになった。その一方、後者の採算の悪いローカル線区については、投資の抑制・放棄とサービスの切り捨てを露骨に行なっていった。このため、「安物車両」や座席の少ないロングシート車両やトイレなし車両が導入され、列車ダイヤも削減・改悪を余儀なくされていった。そうした改悪は、改革後5年経過後あたりから急速に顕在化していったのである。これらは、「改革」の名のもと様々な矛盾を内包したまま実施されたという、不徹底で妥協の産物による「分割民営化」という「隠された現実」によって必然的に起こされた問題点と考えることができよう。  第四には、この改革にあたっての監督権限の不徹底や、外部監視機構の欠如という、日本的行政組織の抱える問題点が挙げられよう。改革当時の総選挙で「行政改革」を争点として取り上げ、「国鉄労使悪者論」等の国鉄の抱えていた様々な問題点を巧みに利用して一般国民にプロパギャンダを重視して提示した結果、当時の保守政権は大幅に議席を増やし、「分割民営化」が決定的となったのである。その一方、改革の本質や細部についての広範な国民的論議を巧みに回避した。このため、今日JRに対しての監督権限は大幅に縮小してしまった。これは、現行鉄道事業法での規定等の様々な問題点、アセスメント・パブリックコメントの欠如等に端的に表われているのである。 3、国土幹線鉄道の整備過程  国鉄改革の帰結について検討していくにあたって、まず第二次世界大戦前における日本の鉄道網の形成過程について、概観していくことにする。  1)第二次世界大戦前における日本の鉄道網形成過程  近代化の始まった明治期初頭には、官設鉄道のみの力では鉄道建設がおぼつかなかったため、有力私鉄も交えた鉄道建設によって、国土の幹線鉄道網の形成を目指すことになった。その後大正期になり、鉄道建設も幹線から地方線へと機軸が移ると、軍事的要請や全国統一的輸送体系の確立を目指して有力私鉄が買収され、鉄道国有化が実施に移された。この結果、全国に国鉄網が形成され、首都東京を中心とする結節的ヒエラルキー構造が成立した。それは、皇居に程近い東京(中央)駅を頂点として、各方面へ「下り」列車が運行されていったことに象徴されている。また、こうしたヒエラルキー構造は日本の「本土」に限らず、「外地」であった旧植民地(朝鮮・台湾・満州・華太)にまで、このようなヒエラルキー構造が強制されていった。これは、旧植民地において運行が優先された優等列車が、内地連絡船舶を受けて桟橋発となっていたことや、そうした列車が旧植民地主要駅を真夜中に発着したり(朝鮮の京城を午前3時前後発着等)、旧植民地内のローカル列車の運行本数がきわめて少なかった、等に表われていた(高、2000)。  2)戦後の日本国有鉄道と鉄道近代化  日本は第二次世界大戦で敗戦という結果となり、様々な制度や組織を抜本的に変える戦後改革が占領軍(GHQ)主導で実施された。この結果、政府直営の運輸省(鉄道省)の直轄であった国鉄は、新たに公共企業体の「日本国有鉄道」(公社)として成立する。本来、能率的な運営を目指した英国モデルのPublic Corporationを想定したものの、結果的には Government Corporation という「似て非なる存在」になってしまった。「日本国有鉄道」であっても「日本鉄道公社」とはならずに、「国有」の部分が強調されてしまったのである。ここに、後の国鉄改革の発端となる日本国有鉄道の構造的欠陥、すなわち不明確な経営責任と政府本体以上に官僚的な組織体系が形成され、温存されていくのである。日本国有鉄道の成立当時は、日本の交通を旅客・貨物とも国鉄が独占していた時代であり、当初はそうした大きな収益からの内部補助を前提として全国国鉄ネットワークを独立採算で維持していくことに何ら問題はなかったのである。しかし、後に独占状態が崩壊すると国鉄の採算は大きく悪化し、各種の問題が噴出してくることになる。  戦後の国鉄の各種近代化は、増え続ける需要をいかにさばいていくかという点から、在来線幹線や亜幹線の改良、電化や複線化による高速化が各線で実施されていった.それらは全て自らの運賃収入を原資として、国鉄独自の投資計画として実施されたのである。そのため、国鉄が国家機関の1つとして見なされはしたが、法令による国家的なインフラ投資計画(いわゆる「5か年計画」等)は存在しなかったのである。ここに、第二次世界大戦以降今日にまでつながる、国家的な鉄道支援策の欠如が認識されるのである。  国鉄独自の投資計画による電化や複線化による施設改良、さらには無煙化や動力分散方式採用による技術的近代化施策が強力に推進されたため、全国の幹線や亜幹線で優等列車運転が運転されるようになり、またローカル線も含めて支線から拠点都市直通の気動車急行が全国隅々にまで運転された。前者の幹線では、拠点都市間を「エル特急」と名付けられた等時隔ダイヤで本数の多い特急列車群がネットワーク化され、後者がそれらをフィーダーすることで、国鉄のみでの「密で均質的な全国土鉄道ネットワーク」が一通り形成されたことになる。さらには鉄道建設公団が設立され、地方からの政治的要求を受けたほとんど採算の取れる見込みのない閑散ローカル線もひき続き建設され、全国国鉄ネットワークのさらなる拡大をみるこになる。 4、効率重視の国土幹線系鉄道輸送衰微の過程   ー国鉄改革後におけるJR型鉄道運営の特徴ー  国鉄改革によって日本の鉄道が再生し、一層の飛躍がなされると改革時に当局によって大々的にPRされた。しかし後における日本の交通体系は、空港・高速道路建設等による航空機・自動車交通の一層の拡大と鉄道輸送の縮小の時代を迎えた。ここでは、JR新会社成立後の鉄道輸送の変化について触れながら、分割民営化による全国鉄道ネットワークの改変について述べていきたい。  1)鉄道ネットワークの変化   ー「密で均質的な全国土網羅・骨格型」から「大都市中心のツリー型」へ  日本の鉄道ネットワークは、国鉄改革によって大幅に変更されることになった。その最大の要因は新幹線にあるといっても過言ではない。日本の新幹線技術は、従来から蓄積されてきた新技術を結集することによって独自に開発されたものである。それは東海道新幹線を世界的成功へと導き、その後山陽・東北・上越へと全国的展開が模索され、前述の国鉄改革時の本州各社へと継承された優良資産となった。そうして、さらなる地方への延伸を目指して整備新幹線の建設への期待が高まるが、膨大な建設費と採算性への疑問のため、絶えず地方の政治的圧力への世論からの強烈な批判を受けることになった。このため、正規のフル規格新幹線の建設に代えて、ミニ新幹線(新幹線直通線)、スーパー特急(新幹線規格新線)の導入による建設費軽減も模索されるようになった。結果的には、鉄道網は新幹線を機軸とする骨太の動脈・骨格が形成されることになる。現在のところ西日本では動脈が1本のみだが、とりわけ東日本管内では、現在では山形(新庄)・秋田へのミニ新幹線が、地元県庁による並々ならぬ尽力により東京へと直通するようになり、東京を中心とする樹状の「ツリー構造」を鮮明に呈するようになった。その反面、拠点都市以外への動脈からはずれた中小都市相互間のアクセスは投資対象から外れ、旧態以前のままとなった。  この結果、JRを機軸とする日本の鉄道体系は、国鉄改革以降の10年あまりで、「密で均質的な全国土鉄道骨格型ネットワーク」から「ツリー型」へと一変してしまう。採算性で極度にセグメント化しようとするJR各社の経営姿勢によって、大都市圏での必需的利用以外は、交通市場の諸条件の中での選択的・派生的な利用へと成り下がることを余儀なくされたのである。  結果として鉄道輸送は総体的には全国的に衰退し、鉄道以外の自動車や航空機等のモードへと一気にシフトしたのである。それは、道路や空港の整備がガソリン税や航空燃料税を原資とする、国家的な特定財源制度に基づいた確固たるインフラ投資政策によって裏打ちされていたからである。それは、第二次世界大戦直後までの鉄道優先の投資政策への反動という側面、中央省庁でも建設省と運輸省の敵対的な関係も存在する。土木事業や地方への利権誘導という、「鉄の三角形」で結ばれた政治家利権と土建屋の利益の確保を主軸とする保守政治の帰結であり、新保守主義政策の帰結点でもあるのである。一部の国土計画で華々しく論議された国土軸論議も、新保守主義政策の一端を担ぐことにもなった。  鉄道インフラへの投資抑制の結果、鉄道以外の航空・高速バス・乗用車(レンタカー)への強制的なシフトが図られた。また、鉄道会社自体が、自社の鉄道乗車券よりも「トレン太君」や航空券販売を優遇するという事態も生じている。  2)運賃制度の地域化  まずJRにおいては、当初国鉄から引き継いだ運賃表を多少の修正をすることで運用していた。その結果、本州各社では10年以上にわたって運賃値上げをしないという成果を生んだ。この点は評価されるべきである。  しかし、JR各社の経営状況に明らかな差異が生じてくるようになると、各社が独自の運賃表を設定したいという意図が鮮明になったため、JR自体の運賃制度が通算制度を残しつつも、次第に地域化・限定化していく。高速バス等との競合を意識した特急利用の往復・回数券で使いきりタイプの特別企画乗車券(トクトクきっぷ)が多数発行され、競合が激しいため大幅割引となり普通運賃よりも安い価格設定も出現している。この一方で、競合のない区間では割り引きなしの定価運賃しかなく、格差が拡大していった。さらには、国鉄時代から続いていた運賃制度や利用上の特典は利用者から忘れ去られ、周遊割引運賃の廃止や利用制限の強化(途中下車制度や学割制度の利用が激減)等により鉄道利用のメリットは喪失してしまい、鉄道離れを加速させることになった。こうして、国鉄時代からの全国的統一運賃制度が崩壊していったのである。  地方では、整備新幹線について採算性への懸念が大きくても、建設への絶大な期待がいまだに存在する。こうしたことからも、政権党レベルで各種のスキームを作成し、地元負担を強いる仕組みを作ることになった。一つには、整備新幹線をフル規格で建設する場合、建設の条件として在来線の経営分離し、地元主体の第3セクターとして運営させることを強制した。新幹線開通後経営分離された在来線には、ローカル普通列車しか走行されない。収入源も限られ経営基盤も脆弱なことから、自ずと運賃値上げをしなければ経営が成り立たない。また、この整備新幹線開通後の在来線経営分離のルールについては、法的な根拠は全くなく、政府与党合意という全く政治的な条項によっている。にもかかわらず、一種「整備新幹線の憲法」として法律以上の拘束力をもって受け入れられているのである。このようにして、地元は新幹線というアメを入手するため、このような理不尽なルールというムチを受け入れてしまったのである。鉄道事業として採算をとろうとするため、JRとは別の割高な運賃表が適用されることになり、全国通算のJR運賃体系からは分断された、地域限定の輸送機関になり下がってしまうのである。とりわけ、北東北の東北線盛岡〜青森間は、北海道への貨物列車が動脈として運行されているにもかかわらず、この程第3セクターの会社発足がなされた。青森県では部分的に「上下分離」を行なうとされるが、きわめて限定的である。  3)鉄道ネットワークの解体  前述のようにJRを機軸とする日本の鉄道体系は、改革後は「密で均質的な全国土鉄道骨格型ネットワーク」から「大都市圏中心のツリー型」へと一変する。それは、JR各社が線区毎の経営効率、すなわち儲かるか否かという採算性を重視した結果、重点領域を極端にセグメント化した改善(高速化や新幹線化)を行なったため生じたものである。この結果、一方で不採算を理由に地方の利用者に不便を強いるような改定も行なわれるようになった。  まず在来幹線・亜幹線長距離列車の直通運転の分断がなされた。すなわち、東京から九州・山陽方面のJR会社間をまたがって運行される在来線経由長距離寝台特急(「みずほ」「あさかぜ」「はやぶさ」「富士」他)がまず削減された。またここ数年では、日本海縦貫線の「白鳥」(青森〜大阪)、山陰線の「いそかぜ」(小倉〜米子)、日豊線の「にちりん」(博多〜宮崎)等の、昼間の長距離特急の廃止・分割が行なわれている。またJRの会社間をまたがる列車も、地方線区を中心に削減されたり、新型車両の導入が遅れることにもなった。  さらには、山形・秋田等のミニ新幹線化による改軌のため、在来線列車が分断され、貨物列車・直通列車の運行が不可能となり、夜行急行列車の運転が中止され、亜幹線が物理的に分断された区間も存在する。フル規格新幹線を指向した区間では、当該区間の在来線が新幹線開業後は、移管された第3セクターによる経営となり、運行・運賃は分断されることになる。地方の地元に対し、「自己責任」を押し付けようとしている。  4)新たな内部補助の発生  国鉄改革では「公共性」と「企業性」という双方の側面を同時に求められたため不徹底な改革であった。このため、本州の利益が「三島」の欠損に使われることはなくなったものの、JR新会社へは内部補助を前提とした経営努力が厳しく求められ、公的補助に乏しいという点が存在する。このため、利益を出している本州会社においては明らかに鉄道の使命が終わり廃止必至のローカル線であっても、地元の反発等から廃止が先送りされている。このため、こうした線区では後述のとおりJR側が徹底したコスト削減により、最低限の運営へとレベルダウンしていった。  また、これら改革時の課題については、JR会社法の再改正問題として検討されているが、利用者参画の観点についてはいまだに不十分なままである。 5、民営化改革の帰結点(結果と現状)  ここで、これまで日本の国鉄改革を事例として検討してきた「民営化改革」における帰結点の結果と現状について触れていきたい。  まず第一に、分割民営化に伴うJR運営の問題点としては、自動化・低コスト化による採算重視・合理化という問題が存在する。自動改札機やワンマン運転化、ロングシート車両導入他が挙げられ、関連事業の優遇で駅での鉄道利用の利便性の悪化したケースも見られるようになった。JR各社において、鉄道事業社員が大幅に減らされ、関連事業へと回された。その一部は機械化により合理的に進められたが、旅客サービスを悪化させるような削減も出現した。鉄道駅構内では駅員の姿がまばらになり、無機質な空間と化し、車内暴力事件等のバンダリズムがはびこるようになり、新たな問題を引き起こすようになった。転落事故や自殺の少なくない東京の混雑線区では、ホーム監視の駅員までもが削減されたため、民間のガードマンを雇い入れる状況となった。  第二に、線区(支社別)の運営が強化されてきているが、それは線区毎の区分経理による独立した経営効率競争がその背景に存在する。市場原理や歴史的競争状況に大きく左右されるため、露骨なサービス格差も出現しているのである。競合線区では、常に割安な運賃のもと新型の快適な車両による良質なサービスが享受される一方で、競合のない地方支社の線区では「安物車両」による不快な移動を余儀なくされるようになった。  第三に、空間構造の変化を見てみると、国鉄時代の「骨格(全国ネットワーク)型」ネットワークから、「ツリー型」へと大きく変貌した。それは、拠点となる対大都市へは大幅な時間短縮、黒字ルートからはずれると大きく悪化、という構図であり、クルマ依存を強化させる要因となっている。つまり、かつての「密で均質な空間統合ネットワーク」は、大都市中心の「ハブ&スコープ(モザイク)構造」へと大きく変化したことであり、効率を前に地方では「自己責任」が押し付け(転嫁させ)られ、公共交通網は意図的に崩壊させられ、空間的不平等が拡大している様を見ることができる。新古典派経済学による「市場原理(見えざる手)」の優先と、場当り的・方向性を定めずの鉄道施策が地方を中心に接見してしまった。施設が老朽化しても放置し、現状墨守の姿勢を貫き、むしろ縮小均衡を目指して、列車本数削減、保守工事のための昼間時間帯の運休等の作業の手抜きやダイヤ改悪を嫌がらせ的に行なっているとしか言い様がない。うがった見方をすれば、鉄道ローカル線の廃止申請時の地元の反発を買うくらいなら、細々と最低限の運行をしていたほうがましとの判断も考えられよう。 6、結論ー新保守主義的公共政策がもたらしたものー  以上述べてきたように、日本の国鉄改革での分割民営化と鉄道インフラ投資を相対的軽視する政策によって、日本の鉄道ネツトワークの構造に大きな変貌をもたらした。これは、効率=採算性重視の見地から行なわれたもので、大都市圏へのアクセスが大幅に向上する一方、地方同志の連絡が衰退したことに端的に表われているものである。すなわち、経済合理性の観点から企業行動に合致する重点分野については、利便性のあくなき追及がなされる一方、企業として採算が確保できない分野については、投資を放棄し改善しようとしないという構造となり、結果として地域的不均等を助長させているというものである。空間構造の変化としては、国鉄時代の「骨格(全国ネットワーク)型」ネットワークから、「ツリー型(大都市中心型)」へと変貌したのである。この結果、役に立たず当てにならない鉄道、大都市では現実的な代替手段が見付からない中、鉄道混雑が何ら解消されずぬ車内暴力事件が多発し、鉄道重大事故も発生している。日本の鉄道に対して、一般国民は旧態依然とした鉄道に愛想を尽かし、うんざりしている。これが今日的状況である。  そうした中、一方で他の輸送機関の空港・道路へのインフラ投資は国家的・予算的支援により堅調に推移し、施設改善により利用が一層シフトしている。このようなことで、自動車化が加速し、反面で交通弱者が増大し、自動車の利用可能性による不平等、さらには地域の不均等発展を招いている。また、現行の鉄道事業の法体系では、利用者の苦情処理意義申し立て制度に著しい不備が存在し、利用者の不満が鬱積しながらも、はけ口が存在しないという状況にある。  地球環境対策として、運輸部門の温室効果ガス削減は急務であるにもかかわらず、日本では産業への影響が図りしれないとのことで、モーダルシフト、特に鉄道優先の考え方はほとんど緒についていない状況にある。今日、唯一可能性の見られるLRT(新型路面電車)導入論議であっても、一部の反対が増幅され社会実験の実施すら消極的である。つまり地方住民の偽らざる本音は、現状のクルマ社会は渋滞さえなければ何ら問題なく、自らの獲得した便利な生活を手放したくない、というところにある。このような中、鉄道復権への啓蒙活動はおぼつかず、むしろ鉄道ネガティブキャンペーンの方が納得されるような状況である。地球環境対策にはきわめて消極的で、モーダルシフトへの新施策もなかなか進まない中で、かなり大きな転換点となる出来事が起きない限り、こうした状況は変わらないであろう。  「日本の国鉄改革大成功」という神話的評価は、確かに経営体としての経営内容としての観点からはうなづける局面もあろう。だが、そうした「神話」の内実として、利用者の意図とは異なった地域ネットワーク構造の転換が進行してしまったことは、いかに評価されていくべきであろうか。