北海道の運輸・土木行政の変革とその来るべき将来像

北海道教育大学岩見沢校
武 田  泉
はじめに

 21世紀を目前にした今日、国のレベルでも北海道のレベルでも、制度や仕組みの一大変革がまさに進められようとしている。国会でも中央省庁を1府12省庁へ再編することを骨子とする、行政改革関連法案がようやく成立した。戦後改革以来の大幅な制度改革を伴うことからも、審議過程では多少の修正はあったものの、大枠は閣議決定のまま新体制が発足することになった。つまり、再三批判の狙上に上がってきた「縦割り構造」は、系列化された族議員と省庁側の強い抵抗から、再編がトーンダウンしたのではないかという経過も存在する。

 このように今日は、国民的課題を受けた改革の時代であるが、他方で行政改革は当事者にとっては痛みが伴うものである。さらには、そうした当事者のみならず組織にとっては、将来にわたってその処遇は不透明なままな存在として置かれることにもなりかねない。

 本稿では、北海道における社会開発事業(いわゆる土木事業を含む)の将来像を、現在進行中の行政改革の流れとの関連から検討していくものである。           

 

1.北海道への新幹線建設論議の現状と北海道としての対応

 ここ数年、遅々として進まなかった北海道への新幹線建設だが、本州側はここへ来て少しずつだが見られるようになった。新幹線建設論議は絶えず政治との関係を指摘され、予算シェアではわずか数%にもかかわらず、絶えず不健全な大規模公共事業の象徴として中央(在京)のマスコミから批判の矢表に立たされている。一方で、まだ整備新幹線が完成していない地方の地元からは、悲壮感あふれるまでの待望論が沸き起っており、きわめて対照的な構図となっている。このため、整備新幹線の詳しい動向については、関連する各地元新聞からもれ伝えられる情報に限られてるのが現状である。

 最近の情報からは、整備新幹線の着工組である東北、九州(鹿児島ルート)とその他の路線とに、その展開は分かれている。北陸新幹線については、長野までが一部完成した後は、北陸部分を規格を変更の上スーパー特急として開業を目指していたが、建設費削減案としての米原合流をJR東海が拒否したり、JR西日本が全線フル規格開業なら運営も不可能ではない等と、軌道修正が見られるようになっている。

 未だ着工に至っていない、九州(長崎ルート)と北海道については、当局の見解は微妙に分かれてきた。与党の委員会の方針では、日本列島の骨格路線を優先して建設し、枝葉となる路線については規格を再検討する方針、とも受け取れるようである。このため、九州(長崎ルート)では嬉野経由短絡ルートも再見直しされ、 代わって九州(鹿児島ルート)に新鳥栖駅を設置し、そこから在来長崎線を利用する新型振り子特急車両の導入案が浮上しており、現にJR九州が検討中と表明していた。その後、新型 885系車両のデザインを公表し、翌2000年にも博多〜長崎間を1時間58分に短縮すると発表した。このことは、事実上長崎ルートのフル規格新幹線を断念したことになる。

 東北・北海道新幹線関連では、実際の工事の展開と関連して、貨物列車の運行方式、並行在来線運営の第三セクターのあり方が問題となった。地元新聞の記事では、まず5月の青森県が与党に向け整備新幹線の早期完成を求めたという記事をに手始めに、事業費の増額と工期短縮、今年度予算の予備費の充当をという要望が中央に出される、と報じられた。東京でも、整備新幹線の建設方針に関する与党合意を受け、与党の整備新幹線建設委員会が早期完成へと財源確保についての方針が確認されている。既に八戸付近では、新幹線高架橋の建設が着手され、目に見える形で新幹線が迫ってくるよう存在となってきた。

 6月から7月になると、本州側では新幹線関連で事態が急展開し、基本設計段階から実務的な実施設計段階へ移行する。まず、貨物列車はどこを通すかという点については、地元両県・JR等による関係当事者の会議により、新設線はフル規格とし貨物は新幹線側を通さずに在来線を通すことに決定する。その背景として、主に新幹線電車と貨物列車の著しい速度差に伴うダイヤ編成上の難点と、新幹線側に貨物を通す際に必要となる退避線などの諸施設の追加的コスト、の2点が挙げられたからである。次に問題とされたのは、盛岡以北の東北在来線の経営分離問題である。すでに、「しなの鉄道」が設立されているが、盛岡以北の場合は岩手・青森両県がとのような対応をするか注目されていた。当初、両県は輸送の一貫性の確保の観点から盛岡〜青森間一体の一社による運営を目指していた。しかし実務的話し合いを前に、岩手県側から両県境で分割した会社の設立が示唆される。一時は八戸で分ける案も出たが、結局在来線の運営会社は岩手県・青森県がそれぞれ別々に設立し県境(目時駅付近)で分け、運行は相互乗り入れにより一体的に行なう、盛岡〜好摩間ではJR花輪線が乗り入れるということで、両県知事により合意したと伝えられた。これは、区間を短く細分化した方が会社としての収支が良いこと、県や市町村レベルでの経営責任が明確化できること、などが背景として挙げられた。その一方で、初乗り運賃が重複するため、運賃が割高になることも予想される。知事は会見の中で、両県民の税金を投入することを理由に経営の分離をしたとされ、これは広域的視点よりも地域的な県内事情を優先させたようにも受け取れる。新幹線開業後の在来線は、普通列車を主体に地域交通を担うことになるため、現行の複線電化路線は過大な施設ともなりうる。このため、現行の鉄道施設を縮小する単線電化案・単線非電化案の検討も行なわれている。

 8月になると、地元紙は岩手県内で関連市町村による連絡会議が設置されたことを報じ、鉄道施設と運賃水準について各自治体ごとに聴取されている。例えば、盛岡から離れた一戸町では現在と同じ利用条件の運賃水準の維持をと主張し、花輪線沿線の安代町では非電化単線で構わないなどとされており、各々の利害関係から既に微妙な差異が生じており、調整が困難なことを露呈している。

 9月段階になって、これまでの議論を基に東北・九州(鹿児島ルート)の工事区間への予算の重点配分と、北陸(長野近辺)への調査費の配分が決められた。一方、北海道については青函同時開業(新函館先行開業)などの部分建設案が影を潜め、ほとんど限りなく「ゼロ回答」となってしまった。道庁など地元サイドが、札幌までのフル規格全線一括建設という「筋を主張しすぎた」ため、かえって事業着手が10年以上遅れてしまったのではないか、という見方も出されるに至った。建設が実施設計段階に入った場合、それに向けた地元の対応には、建設促進運動などの「熱意」の他に、建設へ向けた環境整備や合意形成、つまり受け入れ準備も必要なはずである。後述する並行在来線問題など、具体的・実務的課題を一つ一つ処理していかなければならない。

 10月にJR北海道は、計画中の札幌南口開発地で新幹線ホームとして現在の在来線用1、2番線を転用させるという方針を示した。とりあえずの受け入れ準備と言えよう。この決定からして、JR北海道の北海道新幹線に微妙な考え方を示唆するものと言える。しかしながら現在のところ道内に居る限り、こうした新幹線に関連した実務的問題に遭遇することは札幌駅の他には皆無である。さらに、改造内閣の新しい運輸大臣も北海道に対して開発中の「フリーゲージトレイン」を持ち出していた。

 このような動きは、近年近づくかに見えた新幹線の北海道への到達が、またしても遠のいた感がしてならない。さらには、山陽新幹線等でトンネル内や高架橋から建設時の施行不良によるコールドジョイント部分からのコンクリート片の落下が相次ぎ、土木構造物の安全性が問題となった。その結果として、高度成長期に急いで施工され骨材に海砂が混入されていたいたことなどが指摘された。こうした崩落問題の発生で、既存路線の緊急点検と補修が先で、とても整備新幹線の新規建設の余裕はないとの見解も出されるに至った。さらに道内においても11月以降、室蘭線礼文浜トンネルの崩壊で、検査のため一部区間が一週間程度も不通となり、鉄道輸送に大きな影響をもたらした。また、道内各線の特急列車の窓ガラスにひびが入り安全性に疑問符が付くなどJRにとっては受難の連続となってしまった。土木構造物への打音検査のあり方にも問題が投げかけられるなど、鉄道システムの安全性へと問題が拡大してしまった。

 整備新幹線建設にあたって、JR新会社に配慮すべく並行在来線の経営分離が与党協議会でスキーム化されたが、その影響で在来線には大きなしわ寄せがもたらされることは承知の上での対策となった。長野新幹線のケースでは、第三セクター化以外にも在来線の一部区間(横川〜軽井沢間;碓水峠の特殊勾配の区間)の廃止・バス転換がなされている。東北線を仮に転換した場合は、全国的ネットワークで運行されている貨物列車に大きく影響することになろう。東北線が単線となった場合、奥羽線への迂回なども考えられ、仮に東北線走行の場合でも、単線ではダイヤ編成の自由度が喪失され、鉄道貨物輸送の競争力が著しく減退することは十分想像できる。事実、本年になって何度か東北本線が不通となり、寝台特急やコンテナ貨物列車が奥羽線等への迂回運転を余儀なくされた。このため、その影響で道内で発売の雑誌の発売日が幾度も遅れるなど、多大な影響が生じているのである。また従来、貨物の運行費用としてJR旅客会社に対して支払われる額は少額であったが、新たな第三セクターにおいては応分の負担を求めたい意向とされている。とりわけ岩手県側の第三セクターにとっては、盛岡以北の県内部分には対象となる貨物取扱駅がないため、貨物列車運行に消極的に対応しているようにも受け取れる。JR貨物は厳しい経営を強いられており、かつ青函トンネルの利用度は旅客よりも貨物の方がはるかに多いという現状も存在する。

 こうした地元論議からは、日本列島の骨格を支えてきた幹線鉄道でありながら、実際の鉄道運営では地元の利害の方が優先されており、かつ鉄道の役割がさらに低下しているため、「泥縄式」に決められているのでは、との感が否めない。また、国(運輸省)も国会での関連質問を機に、この並行在来線問題に対してようやく重い腰を上げようとしている。しかしながら、具体的には譲渡される線路施設資産に対する税制上の優遇策の実施やランニングコストのJRからの支援、などの対策に留まっており、健全な鉄道運営を目指してスキームを見直すような抜本的対策を取らずに、従来の枠組みのまま言わば見て見ぬ振りを決め込んでいるようにも受け取れる。環境重視社会を前に、鉄道の優位性を満足に主張できない運輸省の姿勢は、誠に遺憾としか言いようがない。参考までに筆者は新幹線を含め既存路線の安全点検と新規路線建設の双方を並行的に進めるべきで、政府(運輸省)がもっと積極的な予算措置を講じ、鉄道インフラも公的所有に移行させるべきと考えている。

 日本政府は一昨年の地球温暖化京都会議(COP3)を受け、温室効果ガスを削減するとの国際公約を掲げながら、現状では主要な温室効果ガスの発生源である自動車交通量は今だに増加している。このように日本政府は実効性のある満足な成果を挙げていない。そうした中、運輸省は従来からの運輸事業規制行政から抜け出せず、交通環境対策としての鉄道の活用への新たなスキームの提案をしていない。政府機関の一員として、自らの行政資源を十分に活用できていないのである。

 さらに、こうした岩手・青森県における新幹線と並行在来線への動きは、両県県内以外では東京はおろか、隣接する北海道でもほとんど目にすることはなく、報道上は単なる地方の問題として片付けられている点も問題である。東北線を走行する貨物列車の相当数が青函トンネルを経由した北海道向けの列車であり、前述のように北海道の物流に大きく影響しているにも関わらずである。

 すでに着工された盛岡以北の東北新幹線に比べ、青森以北の北海道新幹線については、未だ着工に至っておらず、一般道民の意識はきわめて低調である。今後、総合的な交通体系の効率的な実施のためには、全ての交通モードを横断的に活用していくことを考えようとすることや、経済合理性以外に環境等の視点が必要である。

 例えば、新幹線と道路整備のどちらが大切か、という議論も当然起きてこよう。1997年夏の集中豪雨で、道南の一般国道5号線の野田追橋が再度不通となった。この際、大きく迂回を余儀なくされた運送会社のドライバーが、「北海道新幹線など要らないから、国道を早く直してくれ」と指摘したとされる。このような意見に一般道民の本音があろうが、だからといって額面通り受け止めてよいものか。まず、この不通箇所は一昨年も不通となっており、函館と札幌・道央方面が寸断されたことは記憶に新しい。高速道路が完成しておらず重要度が高いにもかかわらず、2年経過しても新たな野田追橋が架橋中で完成していないという事実には、担当部局による予算配分や事業化の手順に疑問を投げ掛けずにはいられない。現に一般国道のうち、ナンバーの若い基幹路線の改良の方が、いわゆる3ケタ国道路線の新規建設よりも、予算が付きにくいようでもある。しかしながら、一方でこうした発言は、自動車運転層にとって道路整備がいまだに重要課題だと受け取られている(重要度)の道路なのか、前提となるクルマ社会と環境重視社会との関係等についても考慮されるべきである。一般道民の交通利用は、道内では自動車、道外へはほとんどが航空機に頼っているなど、二極分化している。それは、格安航空会社である北海道国際航空(Air D0)に対しては多大な関心が寄せられている。一方、鉄道の役割は極めて稀薄になっている。鉄道への無関心が蔓延しているという道民意識における「落差」には、様々な要因が考えられよう。中でも、道民の多くがクルマや飛行機を便利な存在として重用している反面、未開通の新幹線は未だ利用したことがなく、体験として正当にその機能を評価できない点は大きい考えられよう。確実性が高く大量輸送が可能な新幹線では、遠距離の新幹線通勤が可能なこと等は、他の交通機関では真似のできないものを有しているのである。

 JR北海道の設立後、道内主要都市へは振り子車両を含めた新型特急車両の投入と線路施設の改良で、時間短縮が実現した。それは自社資金の他に鉄道整備基金(現運輸施設整備事業団)からの資金投入とJRとは別会社の地元も出資した受皿第三セクターなどによる、在来線の改良によって実施されたものであった。しかしながら、札幌〜函館間では、所要時間を現在の3時間程度以下へのさらなる抜本的短縮には、現在の枠組みでは到底不可能である。この結果、航空機や今後延伸される高速道路とには苦戦が予想されており、むしろ鉄道の優位の確保には新幹線の建設こそが不可欠となろう。また、整備新幹線の建設が予定されている他県においては、新聞など地元マスコミが率先して新幹線にかかわる諸情報を詳しく流している中、北海道新聞社をはじめとする道内マスコミは報道が低調であるばかりでなく、むしろ新幹線建設を疑問視する論調ばかりが目立っている。健全な批判精神はマスコミとして重要だが、地元にとっての様々な波及効果をもより明確に把握すべきでないだろうか。これは、前述のJR札幌駅南口開発発表時、直接関係のない北海道新幹線計画へ疑問を投げかけた報道や、本州の東北線不通には何の反応を示さなかった報道が室蘭線不通で大騒ぎをし、鉄道に関わる枠組みを不問にしたまま、JRの責任を追及しようとしている点が挙げられる。こうした近視眼的な報道が後を絶たないばかりでなく、そうした報道を基にした道内世論の形成は、今後の北海道の総合交通体系形成に悪影響が及ばないか懸念される。そして年末になって、自民党政調会長が建設推進派であることから、北海道新幹線の着工が有望視されるとの報道がなされ方向性がますます不透明になってしまった。今年もまたしても新幹線論議が混迷し振り回されたまま終わってしまうのであろうか。

 いずれにしても、今後はこれまでの推進主体側による新幹線建設論議だけではなく、一般市民も含めた情報公開や意見の聴取、さらにはしっかりとした議論が必要なことは言うまでもないことであろう。また、従来の経済合理性という視点だけではなく環境重視社会へ向けての交通整備の形態という視点も不可欠となってこよう。
 

2.北海道の行政機関の特色と改革の方向性

 今回の行政・制度改革の中でも、北海道内の行政組織のあり方は中心課題の1つであろう。このため、明治以来の開拓・開発行政からの転換という業務内容の変革と、広い管轄地域をいかに統括するかという2つの特徴を有する。このため、統廃合を含めた現業機関の業務内容と配置をどうするか、という問題に帰結することになる。

1)大学における改組の事例

 ここで、筆者自身も渦中に巻き込まれているという境遇について触れてみたい。すなわち大学改革についてである。

 北海道新聞で報道されたような、「北海道教育大学岩見沢校が札幌校に統合」(1999年 7月 1日付)と取沙汰されている問題も、きわめて「北海道的」な行革問題である。従来、大学改革はそれほど進まなかったが、ここへ来て18歳人口の減少、大学の改組(新学科設立)で大きく変化を遂げざるを得なくなってきた。今日の行政改革の中で、国家公務員定員削減やエージェンシー(独立行政法人)化が打ち出されている。これらの実像が明らかになるに従って反対論が大きくなっているが、その一方で議論が拙速なまま急展開しているのは、文部省や文部族の発言力が小さく目下急速な流れを押しとどめられないことが背景にあるとされている。とりわけ教員養成大学(学部)では教員採用数の削減に対応して、教官定員の削減と連動した規模縮小策も含め、抜本的な対応が求められている。こうした状況下北海道教育大学は、「5分校体制」という組織上の特殊事情から、改組計画に対して様々な憶測を招くことになる。単一自治体でありながら広大な北海道に対応して、5つの分校が札幌・函館・旭川・釧路・岩見沢と散在して置かれてきた北海道教育大学のうち、札幌と岩見沢は距離にして40km余りと近接しており、岩見沢の規模が最も小さい。また、両者が同様な学科であるのみならず、岩見沢校の教官・学生の相当数が札幌から通っているとなれば、外野席からは統合必至ではないかとされても致し方ない側面も存在する。しかし、岩見沢校の沿革からして、戦前の青年師範が起源で一般の教員養成ではなく実業教育が主体であった、敗戦後、一時はGHQによって廃校処分寸前になったものの、地元の運動で盛り返すことにより形を変えて存続することになった。札幌と岩見沢には絶えず統合の話が取沙汰されたが成案を見なかったこと、地元では教育大学よりもむしろ農業大学を望んできたこと等、複雑な事情も存在する。とはいえ、学内での議論が十分に進んでいない中、不確実な情報だけで外野席からリークされることは、当事者(筆者を含む)にとっては遺憾なばかりでなく迷惑なことである。また独立行政法人の実像が明らかになるにしたがって、国立大学全体に動揺が広がっている。

 ただ、今回の「報道」の教訓として、プレスリリースのあり方が指摘される。従来北海道教育大学は対外的な情報提供が十分ではなく、絶えず受け身の対応しかなされず、社会的PRが下手であったのである。今後、各機関が行政改革による組織改編など重要な局面においては、対外的な情報提供が必要な局面があろう。そうした際の対応によっては、当該組織に対する一般社会の見方やその後の接し方も変わってこよう。

2)大幅なスリム化を行なった林野庁の再編の場合

 では、スリム化を目指した行政改革の結果、具体的にはどのような組織改革がなされるのか。その先行事例として林野庁の再編について見てみよう。現在農林水産省の外局である林野庁は、戦前は農商務省山林局や帝室林野局(御料林)、北海道庁(北海道国有林)と分かれていたが、戦後の林政統一により生れた林野庁により、国有林は一元的に管理されることになった。そして、独立採算方式の採用により、収益性優先の拡大人工造林政策により木材生産に貢献した。その後、外材輸入、内外価格差の拡大により国産材の需要が低迷し、国有林経営は赤字に転落した。同時に、従来の経営手法が公益的機能を軽視していたため、多様な樹種を有する天然林が大きく減少するなど、森林資源の劣化も引き起こしてしまった。 

 そうした第二の国鉄と呼ばれる林野庁における今回の改革では、経済的木材生産重視を止め、公益的機能重視へと経営方針を一大転換し、組織は大きくスリム化することになった。一時は環境省昇格に連動して、国有林と土地が重複する環境庁想」も野党側から浮上したが、結局は与党農林族議員や官僚等の抵抗により実現しないまま終った。また、環境省への昇格が決まっても、環境庁設置以来の「寄り合い所帯」の構造は何等変わっておらず、厚生省などの出自省庁の「植民地」のままで「霞が関の学生君」と揶揄されており、改革後の新林野庁との関係も含め、自然保護行政の行方は前途多難と言えよう。

 今回の林野庁の組織改革では、営林局・営林署という長年親しまれた組織の名称が消滅し、それぞれ森林管理局・森林管理署と変更された。同時にその数も大幅に削減された。「局」は地方ごとの配置となり、森林地帯に広くあまねく自治体ごともしくは複数に存在し地域に密着してい「署」に至っては、「流域管理」の名の下一地方に1署となってしまった。これで綿密な森林管理が果たして可能か正直なところ疑問である。しかし、組織にとってこれほどまでの組織縮小は、本音ではまさに「屈辱的」改革ではなかろうか。行政目的の大幅変更による、組織や拠点の削減・スリム化とは、まさしくこのような大幅な組織変革であろう。北海道内で大きな影響を及ぼす開発局の組織の今後については、組合サイドなど一部に楽観論「事業所」が職員の勤務形態で異なるという、古き時代の延長のような制度もあるという。しかし今後は、ここで触れた林野庁のような抜本的な組織の大幅縮小も将来的にはありうることを、考えておく必要があろう。

3)沖縄振興開発行政との対比からみた北海道開発行政

 さてこうした組織改革が、今後の北海道の行政組織・公共的機関にとって不可避なことであることは、行政目的の変革という視点からも指摘されよう。それは、従来からの中央政府の直轄と公共事業(トンカチ)重視という、明治以来の開拓・開発行政からの転換を強く求められているからである。このような北海道における行政の特質は、第二次大戦後の戦後改革ではいかなる展開であったであろうか。戦前の北海道庁は内務省直轄で内務官僚や道庁長官により率いられる存在であった。しかし戦後になると、北海道庁が地方自治体として鞍替し民選知事に率いられるが、別途国が直轄する北海道開発庁(開発局)が設けられる。中央政府直轄や公共事業重視という特色は、形を変えて存続してきたのである。現在、北海道内に居住していて、日常生活でいわゆる「内地」とは異なる体験をする機会があるだろうか。にもかかわらず行政上では、相変わらず「開発行政」であり、様々な補助率や採択基準において手厚い構造となっている。

 さらに深読みすれば、このような一般の「内地」とは異なる中央政府直轄の「開発行政」が、様々な行政形態の中でも「軍政独裁」との中間形態という側面を有すると位置付けられ、多少なりともその痕跡を残していることも、世界や日本の歴史的な経験からも指摘されている。

 今日、北海道と沖縄で実施されている日本国内での特殊な地域的行政の形態では、両者とも独立した開発庁を有している。この二つの組織には表面的に共通する局面もあるが、相違点も少なくない。まず、北海道開発庁(北海道開発局)が国土交通省(北海道局)へ統合されるのに対して、沖縄開発庁(沖縄総合事務局)は、内閣府(沖縄振興局)へとその行き先は大きく異なっている。また、沖縄開発庁は米軍統治時代の琉球政府を起源とする組織で、当初は権限に乏しい米軍統治下で琉球住民を代表・代弁する便宜組織として成立した経緯を持つ。このため、内務省直轄の北海道庁を起源とするのとは大きく異なる。那覇市内の沖縄総合事務局は中心部からは若干外れた泊港前の古い賃貸ビルに入居しており、市内中心部に「お城」のように聳える沖縄県庁とは、知事の交代もあるがその存在感は大きく異なっている。札幌駅北口前の大型ビル(第一合同庁舎)に入居する北海道開発局と比べても、さらに道内の至る所に事務所をかかえ「開発さん」と親しみを込めて呼ばれてきた北海道開発局の現業組織と比べても、その地元での存在感や意味付けは全く異なっている。沖縄総合事務局では、通産(公正取引委員会業務を含む)や運輸などの、経済規制等の経済政策部局も存在しており、北海道開発局にはなく別組織が行なっている行政分野が総合事務局内に存在している点も興味深い。また、沖縄が「振興開発」「開発」行政一辺倒であり、経済規制等は内地並みにもかかわらず公共事業(トンカチ)部門を中心とする分野が突出して巨大であったことが改めて認識されるものである。復帰以降、沖縄でも公共事業によって「確かに道路は良くなった」とされるが、ヤマト(国の行政機関)の「どこがやっているのか」については、沖縄県民はそれほど深く認識しているわけではないようである。

 北海道開発庁は国土交通省に統合された際、局の組織自体はそのままの形で北海道局(霞ヶ関)と北海道開発局(札幌)へと移行するとなると、現時点では説明されている。これは、本州方面で併置される地方整備局・地方運輸局体制と同等なのか、局レベルでの建設・運輸部局の統合はされないという情勢も想定されている。現に関係者によると、開発局組織を北海道運輸局との統合は話題にあがらなかったとのコメントもある。実際、政務次官ポストは現行の建設・運輸・国土・北海道開発で別々に置かれるともされ、国土交通省内での政策分野の有機的統合がなされないのではないか、北海道にとって実害のない改革にとどまったのではないかとの懸念もある。このことは、例えば北海道新幹線を含めた鉄道インフラの整備を、横断的な総合交通体系の一環としての公共事業として開発局が直接関与するなどの可能性を閉鎖してしまった。また新「北海道局」は、組織としては変更されるのに、北海道開発事業への手厚さの象徴であった予算の一括計上権は保有されるものの副大臣・事務次官補ポストについては懐疑的ともされている。このため、新「北海道局」の機能は未だ不明確である。こうした事項については、従来の北海道固有の事情が霞が関で十分に理解されていない感がし、霞が関で北海道自体がかすんでいることを如実に示すものとも言えよう。

 改革後の国土交通省には、小笠原総合事務所も設置が予定されていて、国政の上では北海道も小笠原も「内地化した」との認識になったことを示すものとも考えられる。ただ、今後の北海道局において、未だ「内地化」されていない行政課題としては、アイヌ(文化振興)対策、そして返還もしくは共同管理の決定によって新たな段階となる北方領土対策(開発事業)の2つが挙げられると考えられる。後者については、それこそ従来の開発局の本流であった新規の社会基盤整備のため、トンカチ部門が再度正面に登場することになろう。
 

3.北海道におけるこれからの行政・公共事業のあり方

 以上のように、北海道の交通整備の体系とそれを支える行政の枠組みの将来像について述べてきた。行政改革と地方分権の時代である現在、これからの北海道における行政・公共事業のあり方への期待について、述べておきたい。まず、北海道では道州制移行と4分割案の分県論など大胆な改革案は、前々から取沙汰されている。しかしながら、道州制もプランの提示という段階はともかく基本設計段階には至っておらず、道庁においても本庁・支庁体制の転換、支庁機能の強化・権限委譲などといった、現行の北海道庁体制を温存した上での表面的な再編として切り抜けようとしているようにも受け取れる。こうした今後の行政組織の縮小再生産の可能性については、いかに従来の行政機能を損なわずに実行されるかにかかっている。

 このような現状を踏まえ、これからの行政・公共事業のあり方として次の3点を最後に指摘しておきたい。すなわち、@環境重視、A市民参加・情報公開・合意形成重視、B専門知識の地域社会へ普及・貢献、にあるのではなかろうか。

 第一の環境重視では、地球温暖化京都会議を受けた環境対策が国際公約になっているにもかかわらず、いまだに国内では政策的に炭酸ガスCO2削減策にまでは至っていない。ようやく低公害車を優遇する税制のグリーン化や、一部都市でのロードプライシング等による交通需要管理対策、国立公園等自然保護地域でのマイカー規制とシャトルバス運行、などの対策が散発的にも実施されるようになってきた。この中には数十年前から海外先進事例の紹介がなされてきたものもあるが、実施段階に至るまでに多大な年限を要している点をいかに考え解決していくかについても、政策当局に問題を投げ掛けているといえよう。

 第二の市民参加・情報公開・合意形成重視では、従来の行政主導・地域社会承認型のシスカテムをいかに変革するかという視点である。市民感覚を享受するため、担当者がストリートレベルに立つこと、住民との協議も従来の形式的なものではなく、夜間・休日に行なうノーネクタイによる腹を割った協議が必要であること、唯一の確定案の提示と説得ではなく、合意形成のため複数の代替案を提示し時間やコストをかけて説明責任(アカウンタビリティ)を果たしながら取纏めていく、などの姿勢が必要であろう。この意味で、建設省がホームページ等でPRしている「対話型政策立案コミュニケーション型行政の推進」と銘打った担当者による出前講座の実施などは、興味深い施策であると考えられる。

 また国の行政改革の中で、省庁を越えた意見具申や、局レベルを含めた横断的行政などは果たして可能か、などの点も指摘されている。こうした点については、調整会議の設置や、国家行政組織法の改正、などで対応されるというが、実効的な保証が欲しいところである。

 第三の実務家・技術者としての専門知識を市民社会・地域社会へ貢献させる点に関しては、第二の点と関連しているが、換言すれば技術者が一方的に「良かれ」というプランを創る時代は終ったことを示すものでもあろう。このために今後技術者に求められる資質ととしては、@専門知識を分かり易い言葉で説明する能力、A部内の情報を可能な限り部外へ広める努力、Bある種のプライドを捨て市民レベルで考える態度等の点が考えられよう。

 このような変革の実施には、組織レベルのみならず個人レベルでも意識改革が必要である。少しずつでも着実に変わっていってほしいものである。