武田論文集(未投稿論文 1998年作成)  鉄道駅の現代化ー国鉄・JRにおける近年の変化を中心にー             武田 泉(北海道教育大学岩見沢校講師・地理学) 1、はじめに  着々と変化する現代都市社会。鉄道と都市生活を結ぶ接点である駅は、絶えずその機能を変化させており、近年では従来の常識を覆すようなデザイン・形態の駅が、続々と各地に登場したる。駅は鉄道営業施設の代表だが、施設の構造は基本的には鉄道事業者の裁量にあった。しかし、駅が鉄道と地域との接点として地元に便益を与える以上、利用実態を踏まえつつ地元の事情や意向を反映させるべきものとなってきた。こうした最近の駅の機能変化の要因としては、第一に、JR新会社による大手私鉄モデルに事業展開(改革期の国鉄を含む)、第二に、旅客サービス積極的な自動化・電算化・情報化、第三に、都市構造の変化に伴う新たなライフスタイルの形成、第四は、地方における自治体主導の地域振興策の拡大への対応である。  これまで駅については、駅空間の美観・デザインなど建築物としての意味付けに関する論稿が中心であった。このため、都市計画や交通体系や施設設計、事業展開などの点から、鉄道駅の役割考察・評価した研究は少なかった。本研究では、まず駅の定義駅の機能変化の傾向・特色を史的に整理・検討する。次に駅舎の諸形態や駅務・駅構造の各要素から機能の変化を全国的な動向を把握する。地域の実情について事例を都市部・地方部別に豊富に収集し、分析と実態把握を行なう。その上で、鉄道駅の機能が道路やバスなど他の交通にいかに伝播したかに言及し、駅の意義を、背景に存在する事業者側の戦略や、都市交通計画上の課題、さらには財源・費用分担等に見られる従来の制度的障害を検討する。 2、駅の定義と分類 1)制度的な定義と分類  鉄道駅の分類としては、制度面、構成要素・機能面、形態面など、様々なものが挙げられる。  制度面からの分類としては、まず日本国有鉄道建設規定が挙げられる。駅は鉄道営業上必要な作業を行なう場所を指し、「停車場」という概念に包含され、駅(一般駅・旅客駅・貨物駅)と操車場・信号所と分類される。現在でも国鉄駅の駅前通りに、県道「××停車場線」の名として名残りを留めている。この分類では、他に信号扱いをしない停留所・乗降場も存在する。次に駅の構成要素に関して、駅前広場・駅舎・乗降施設・旅客通路があり(青木、1993)、機能に着目して旅客・接客・流動・駅務の4つが「駅本屋(駅舎)」に、旅客通路・乗降場・構内配線・運転施設の4つが「駅構内」(場内信号機から出発信号機までの間)に有するともされる(西亀・神谷、1980)。さらに、駅舎(本屋)の構造・形態を、鉄道線路の形状やコンコース・通路の取り方との関係から、地平駅・橋上駅・高架駅・地下駅、とする分類も存在する(東京市町村自治調査会、1995)。 2)駅と鉄道利用パターンの変化を利用者サイドから見る  ここで、利用者サイドから見た駅と鉄道利用のパターン(フロー)を示し、従来の利用形態から最近いかに変化したかを検討する。  @鉄道創業以来の従来の一般的乗車・利用パターン  出札口ー待合室ー改札ーホームー車両乗車ー下車ー集札(出口)ー駅前広場  明治期の鉄道創業以来の旅客利用の際の最も基本的な形態であったが、今日ではこの形態にかなりの変化が生じている。この変化の契機には、次の2つケースがあった。  A地方のローカル線(ワンマン運転・駅員無配置駅)の場合  ホームー車両乗車(整理券)ー下車(運賃支払い)ーホーム(出口)  地方のローカル線では、収支改善へ向けて徹底的な合理化が図られ、鉄道係員の極度な削減の結果、係員の介在が大幅に減少した。このため、旅客自らに駅務の一部を代行させるような「Do It Yourself」の形態となった。  B都市鉄道での、カード(定期券、ステュアートフォー/前払い式)利用の場合 入口・自動改札ーホームー車両乗車ー下車ー自動改札・出口ー駅前ペデストリアンデッキ  一方都市鉄道では、合理化は新技術を導入しながら出改札業務(定期券発行駅の集約化を含む)などの自動化を進め、大量の旅客をより正確・確実にさばくこととした。将来的には、銀行引き落しや自動改札の非接触通過方式なども、鉄道総研で検討されている。その結果、ここ数年の自動改札機の普及で、駅構内での鉄道係員は本来の姿(出改札等)が減少し、関連サービス部門(旅行・物販)が目立つようになるなど、駅の風景は大きく様変りしてしまった。 3、現代における駅の位置付けと役割・機能の変化  ここで鉄道駅の現代化を、駅そのものの形態面の変化を見る前に、背景となる鉄道自体の機能変化や土地所有面から検討する。  1)列車の運行・運営形態における変化  まず今日、列車運行形態の変化や車両技術の向上も伴い、「汽車駅(停車場)から電車駅(電車専用駅)へ」と、鉄道駅の機能が変化している。かつての汽車駅の設計では、列車別分離改札があたりまえだったので、改札口を入口・出口と乗降を分離し、待合いスペースなど多大な施設が必要であったが、今日では日常的なスピーディーな乗降を第一とすべく、駅構内施設は大幅に簡素化されている。これは長距離列車廃止による近・中距離輸送が拡大したこと、列車本数が激増したことに密接に関係している。同時に、分割民営化による貨物会社の分離で、旅客会社が担当する機関車牽引による広域運用の長距離客車列車の廃止・大幅減も、第一義的には車両・乗務員運用の効率化が主眼だが、駅の機能変化背景として挙げられる。  次に駅かかわる鉄道職制の変革である。かつて駅長には、当該駅に関して列車運行から指令に至るまで多大な権限を有していたが、旧管理局(支社)ごとのCTC管理など機械化・自動化、さらには合理化に伴い、駅長の権限は大きく変化した。有人直営駅の大幅な減少や、大手私鉄も含めた拠点駅整備と駅務員の結果、各駅それぞれに駅長を置かずに、職制自体を駅長から駅管区長、助役から副駅長などと変更されていることが通例である。JRでは、駅長が「地区長」(かつての運輸長機能を拡大し、車両基地や車掌区など地区内の現業機関全てを統括)を兼務するケースも散見される。それは、列車運行部門を駅から分離し、駅は旅客の取り扱いに限定し、余った人員を関連の店舗へと振り向けることによる、生産性向上を目指した施策である。この結果、鉄道本業の従事する鉄道係員数は大幅に減少した。  同時に地方では、駅の無人化が急ピッチで進んでいる。*無人駅の発祥は、ローカル線での気動車導入による客貨分離・スピードアップで、閉塞区間の中間で運転を扱わない簡便な構造の乗降場を設置したことに始まる。JR各社では現在、これらの合理化(いわゆる「効率化」)をさらに進め、ローカル線における線区別の管理・運営部門として、運輸営業所(北海道)・営業所(東日本)・鉄道部(西日本)・鉄道事業部(九州)を、競って導入した。かつて、国鉄時代にも管理長制度が導入されたが、JRではさらに権限を現場への委譲と大幅な人員削減を徹底したものとなっている。その結果、ローカル線の大部分の駅が無人化され、列車はワンマン化されることになった。  2)土地所有面における特色  一方駅には、鉄道営業の他に街における空間機能があり、街の玄関口であることからシンボル性も有してきた。駅の持つ空間機能は、土地所有と行政の所轄の狭間に位置するため、整備の局面では厄介で困難な状況を作り出してきた。  とりわけ駅前広場は、鉄道と都市との接点であると同時に、交通の結節点・変換点でもあるため(武田、1987)、駅空間の重要な構成要素となっている。駅前広場の定義自体も、運輸省サイドでは交通広場、建設省サイドでは都市における駅前の貴重な空間、環境・防災広場の位置付けられている。このように、接点・変換点という機能のため、駅前広場の計画が鉄道事業者の権限だけ行なえず、関連する複数の所轄省庁の申し合わせによる計画を、公共施設として関連都道府県と協議の上、その位置・地積・形状などを含めて都市計画決定するものである(吉江、1980)。駅前広場は、その一部が鉄道用地内にあるため特例的に都市計画法の適用除外対象となっている。これは、戦前の鉄道用地(鉄道省所轄)が「治外法権」のように内務省所轄の都市計画事業外に位置付けられ、鉄道省自らの裁量で都市計画に併せて施工していた。*多数の都市計画技術者の輩出し、外地における都市経営を行なった旧南満州鉄道の鉄道付属地も、「治外法権」の典型例と考えられ、戦後の大手私鉄の都市開発・経営の萌芽となったとも考えられる。  しかし戦後の国鉄時代になると、鉄道収益の悪化と事業費の膨張で、駅前広場整備が鉄道事業者単独では実施できなくなった。戦後の混乱期以来、運輸・建設両省と戦災復興院の3者による申し合わせで、「街路用地と鉄道用地を一体として協議の上、都市計画決定する」と方針が決められ、運輸省(国鉄)対建設省(都市)の交渉により「折半線」の概念が作り出された。この折半線は、時代とともに1/2 (1953年)から1/4 (1972年)、そして分割民営化に伴い1/6 (1992年)へと、私鉄を含め鉄道側の負担割合が小さくなっていった(天野他、1992)。このため、現在駅前広場の整備は都市計画上の諸制度を援用して、都市計画事業として整備されるようになった。建設費は地元自治体側の負担であるため、こうした費用負担のあり方が問題となっている(東京市町村自治調査会、1995)。国鉄清算事業団用地は、分割民営化の際鉄道用地からの分離で全国的に発生したものだが、今後の活用方策は地元自治体の都市計画に委ねられている。 *例えば、阪神大震災で被災し今後事業化される新長田駅前の区画整理等も、都市計画に当たって鉄道用地との関連が重要である。 4、駅舎の諸形態と機能変化  次に、駅舎自体の変化を外見面を中心について概観したい。 1)都市部における駅舎の新潮流ー立体化(橋上駅・高架化)と駅ビル化(民衆駅)  かつて駅舎は、地平駅が一般的であったが、都市における土地利用の重層・立体化や鉄道路線自体の発展により、様々な形態が見られるようになった。駅舎(本屋)の構造・形態を、鉄道線路の形状やコンコース・通路の取り方から見ていくと、地平駅・橋上駅・高架駅・地下駅、と分類される(東京市町村自治調査会、1995)。このうち橋上駅とは、改札口を一か所に統合すると同時に、歩行者自由通路を設けて駅裏口を解消しようとするものである。今日では、市街地分断の解消を目的に地元自治体が率先してこの方法による駅の改築を主張するが、本来はむしろ鉄道事業者側からの合理化の要請の方が強かったのである。さらに元をただせば、橋上駅は新駅設置・線増工事の際、駅本屋用地買収の必要がなくなるなどの理由で始まったとされるが、無味乾燥な感がするケースが多い。  もう一つ、駅舎の新たな形態として、高架駅が存在する。都市において市街地化が一層進み、鉄道が平面交差では都市機能に大きな障害が及ぶようになると、高架化いわゆる連続立体化工事が開始される。建設省都市局所管の都市計画事業で、ガソリン税の投入も可能なこの制度は、もともと都市計画街路における踏切支障による渋滞の緩和をねらい創設されたもので、踏切除去を目的とする単独立体化工事が、この制度の出発点であった。1956年の鉄建(国鉄・建設省)協定や1964年の踏切道改良促進法により、立体化が促進された。さらに、踏切単独の立体化では渋滞の解消や都市の連続性確保の点で、抜本的解決策とはならない事態も全国各地で生じてきた。このため1969年には、運建(運輸省・建設省)協定を結んで、連続立体化工事や限度額立体化工事が制度化されることになった。これらの事業は、事業費が巨額となり都市改造に直結するため、事業認定・採択基準、負担割合は複雑を極める。特に、この事業が鉄道行政と道路(都市計画)行政の狭間にあることが、相互調整を複雑化させている。  他方、都市の拠点駅では、いわゆる駅ビルが多数存在する。この駅ビルは、国鉄時代には「民衆駅」と呼ばれ、国鉄法の例外規定により位置付けられてきたもので、部外者が駅舎の改築工事費を分担し、駅本屋の一部を商業施設に利用するというものである。そもそも、駅を単なる停車場とせず、民間資本が駅ビルを建て商店や飲食店のテナントを内在させるというアイディアは、戦前に新幹線の前身となる弾丸列車建設を想定した用地買収に当たったヤード系の国鉄マンだった、立花次郎氏らによる発案だったとされる(田村、1980)。将来的には、既にヤオハングループの百貨店の入居が決定している上海駅にも、駅ビルが建設されるとされ、まさしく現代日本流の駅ビルの海外への「輸出」ということになろう。なお新幹線駅については、鉄建公団で駅施設まで建設していたが、今日では新幹線駅に一体化させた都市開発事業の認定も可能になっている。  一方こうした近代的駅舎は、機能的過ぎて温かみがなく無味乾燥でもあることから、根強い批判も存在する。こうしたアンチテーゼの代表例としては、京都駅ビル論議が挙げられよう。1994年に平安建都1200年を迎え、新たに関空特急「はるか」の始発駅ともなった京都駅では、懸案の自由通路の新設と関西新空港チェックイン機能の付加にあたって、京都駅北口(表口)に駅ビルを建設し大規模商業施設を併設することが企画された。この事業は、事業主体のJR西日本のみならず、関西経済界の期待を集めるものとなった。ビルの建設にあたって、都市計画における総合設計制度を用いることにより、古都京都に従来から存在する存在する高さ制限を大幅に上回ることになった。歴史的町並み・景観を尊重しようという市民感情もある中、近代的建築物である京都タワーを上回る高さの駅ビル建設は、建築学を中心とするグループとの間に景観論争を巻き起すことになった。コンペでは、吹き抜け天井をモチーフにした現行案が採用されたが、議論の過程で経済活動・住民生活と歴史的文化遺産とどちらを優先すべきかとの見解が提起されている。  このように駅舎に関しては、事業者側からないし利用者側からの使いやすさの他、都市の顔としてのシンボル性も保持しており、今後は様々な観点からの合意形成が必要であろう。  2)地方における駅舎の新潮流ー地元自治体とのタイアップと観光資源化  その一方、地方ローカル線などでも、地元との協力によりユニークな駅舎が出現している。こうした駅舎が建設される前史として、駅の無人化反対の動きが挙げられる。合理化の一環として、国鉄時代から地方ローカル線では積極的に駅の無人化が進められた。その結果、町のかけがえのない玄関口・顔である駅舎内が荒廃してしまういかねない事態となった。当時の国鉄との交渉の結果、その防止策として地元自治体で職員らを派遣し乗車券の販売を引き受け、簡易委託駅としたり(米坂線羽前小松駅の委託化までの経緯については(岡他、1987)を参照)、農協・スーパー・飲食店・理髪店・医院を駅舎に誘致して、駅舎を便宜的に賃貸し、再生させたことに始まる。この背景には、合理化による駅務施設の縮小(荷物扱いの廃止等)、清算事業団用地の発生が挙げられよう。この当時、そば屋駅(木次線亀 駅)や床屋駅(因美線因幡社駅)、農協スーパー駅(奥羽線富根駅)などが登場した。さらにその後、老朽化した駅舎の改築を、鉄道事業者のみならず地元自治体と共同で建設する形態へと発展した。これが合築駅舎であり、地元自治体も工事費等で応分の資金拠出をするもので、国鉄財政の悪化に伴う新駅設置の際の「請願駅」方式を拡大したもので、地元にとっていわば受益者負担のような格好となった。その際、地元自治体側は各種補助制度や「ふるさと創生」資金等を活用した施設が少なくない。その結果、住民票発行など自治体の住民サービス機能をはじめ、図書館・公民館・資料館・博物館・物産館・温泉など実に様々な施設を呼び込むことになった。合築駅の初期の事例としては、図書館駅(三岐鉄道大安駅)、公民館駅(東北線鏡石駅)、図書館駅(陸羽東線羽前向町駅)があるが、分割民営化を控え国鉄長野鉄道管理局の「一駅一名物」の一環として建設された中央東線上諏訪駅の駅ホーム内露天風呂の奇想天外さが全国的に著名となった。これを契機にその後の駅舎改築では、第三セクター鉄道を含めユニークなデザインを採用し、奇想天外な施設と併設するなどして、地元が競って話題作りを行ない、駅を逆手に地域のマチおこし・PR戦略に積極的に活用されるようになった。 奥羽線米沢駅など山形「新幹線」直通時に改築した各駅をはじめ、凝った建築デザインの駅舎とした田主丸駅(久大線;カッパの形)や東栄駅(飯田線;鬼面風)、イベントシアターを併設した鳴子駅などの事例が存在する。中でも、地域住民・旅行者双方をターゲットに、駅舎内に温泉を併設した「温泉駅」はすこぶる好評であり、高畠駅(奥羽線・山形新幹線)をはじめ、ほっとゆだ駅(北上線)、阿蘇下田城ふれあい温泉駅(南阿蘇鉄道)等の事例が存在する。後者2つは、温泉併設にあたって駅名そのものを解消した事例であり、戸狩野沢温泉、勝沼ぶどう郷、鹿島サッカースタジアム、鈴鹿サーキット稲生等の駅名改称の事例と共に、駅をPR上のCIや地域資源として地域が認知するようになったことを示している。しかしながら、これらの合築駅はデザインや多様化ばかりが強調されるのではなく、本来の鉄道駅としての機能を形骸化しないように留意すべきである。  さらに、施設や観光地周辺へ新駅を設置し、観光スポットとした駅も存在する(武田、1987)。例えば北海道のオホーツク海岸の原生花園駅(釧網線)は季節停車の臨時駅で、ログハウスのかわいらしい駅舎内では、駅員が笑顔や愛敬を振りまき、オレンジカード・記念乗車券の販売に余念が無い。記念撮影用の鉄道制服も備えられ、オレンジカード購入者へのサービスとして海岸で貝殻を収集し手作りの記念品を製作している。この駅の鉄道利用者は、観光シーズン中も一日当たり70人とごく少数で、一日10万人といわれる入り込み客の大部分は観光バス・マイカー・二輪車など道路利用者である。この駅はモータリゼーションを逆手にとって、実際の鉄道営業というより、機能的には観光の思い出作りとしての土産物店に徹することで活路を見出しているのである。バルーンで上空から自然探勝のできる釧路湿原駅や、菓子メーカーが請願駅形式で工場脇に設置した駅(北海道ふるさと銀河線岡女堂駅)の事例も存在する。 5、旅客サービス面からみた駅務・駅構造の機能変化  それでは、列車運行や駅務システムなど鉄道運営方法の変革に伴い、駅における旅客サービスはいかに変化したのか。これらの特徴は既に述べたとおり、駅の合理化・不採算部門からの撤退と、収益部門・非現業部門への特化にあろう。 1)駅など接客設備の自動化  鉄道業務は事故を回避するためにも、人間に確実・迅速な単純作業を強いてきた。錯誤によるヒューマンエラーを防止するため、様々な機械化・自動化と情報化が取り組まれてきた。とりわけCTC(集中制御)は、当初の列車運行管理のみならずコンピューターの技術革新による機能の拡大で、情報案内機能を付加することも可能となり、行先案内表示や放送の自動化もなされている。さらに、駅における騒音軽減の観点から、山手線新宿・渋谷駅を皮切りに、発車ベルのメロディ化・アメニティ化が図られ、「琴の音」の金沢駅など各地へ普及した。また、事故防止用自動関知警報装置はホーム上の駅員を削減させ、さらには自動券売機・自動改札機・自動精算機など出札関連の接客施設の自動化には、著しいものがある。これは、確実な運賃収受を目的としたものであるが、この思想の根底には乗客「性悪説」の存在は否定し難いであろう。こうした接客設備の自動化に伴い、乗車券(切符)の形態も大きく様変りしている。収集家に人気があった硬券は姿を消し、代りに自動印刷発行機や自動券売機、車内精算のハンデイーターミナル化、自動改札に対応したプリペイド・スティユアートフォーカード、POSによる売上管理が急速に展開した。その他にも、列車側面の行先表示が、サボから方向幕に変わるなど、鉄道創業以来の「鉄道らしさ」がどんどん失われていっている。鉄道は今日、まさしく変革の時代を迎えている。 2)駅における鉄道業務の合理化と付加価値業務への傾斜  さらには、駅における鉄道現業に直結する業務が急速に合理化されている。とりわけ、鉄道案内所・待合室の廃止・縮小、椅子・ストーブの撤去など、従来旅客に無料で提供されていたサービススペースの縮小が著しい。 *新しいデザインの試みとして話題を呼んだ博多駅(在来線;JR九州の場合)、デザインの斬新さの陰で待合室が廃止された。コンコースに椅子がわずかに並べただけで、旅行者にとって駅は落ち着かない空間となってしまった。弘前駅や札幌駅も同様である。  その上、出札とみどりの窓口や、改札と精算所の統合、営業時間の限定(トクトクきっぷ)を行ない、代りに旅行センター店舗・営業支店などの急速な展開が目立っている。つまり、収益性の高い旅行業に傾斜するため、旅行業本部の設置や別会社化が図られ、積極的に包括旅行・海外旅行商品が販売されている。その一方、一般のJR券窓口に長蛇の列が生じたり、煩雑な一般周遊券がJR直営窓口では発券できないという状況も見られる。また、テレフォンサービスや外国語サービス(Infoline)、御客様の声カウンター(グリーンカウンター・きく象コーナー;苦情処理室)の設置、企業グループ全体の総合カウンター化(小田急新宿駅、京王「KIND」、東急「テコプラザ」)などが散見され、総合カウンターでは百貨店など鉄道以外のグループ情報を女性係員が担当するなど、接客面でのソフト化が進んでいる。しかし、テレフォンサービスは回線数が少ないため利用しにくく、総合カウンターは通り一遍の表面的対応しかさず、「鉄道のわかる」係員に乏しいなど、ちぐはぐな対応も一部に散見される。  3)事業者による直営店舗  私鉄によって先鞭を付けられた関連事業であるが、分割民営化後のJR各社では当初の余剰人員対策から始まったものだが、現在ではより深度化されている。駅に密着した店舗としては、「アッキー」(秋田地区)や「ジャスター」(北海道内)、「生活列車」(九州のコンビニエンスストア)などの事例がある。とりわけ、関連事業比率がJRで最大のJR四国では、松山駅などのように駅構内に直営店舗が所狭しと並び、松山郊外でも伊予和気駅の「麺小路」(喜多方ラーメン店)、高知郊外の朝倉駅の「ウィリーウィンキー」(パン店)など、都市郊外の駅をむしろ店舗として位置付け、鉄道利用者以外にも立寄りを期待するような戦略となっている。また別な特徴的な事例として、東武鉄道では駅に隣接する貨物跡地に遊休用地の活用策としてスポーツクラブを建設し、グループ社員として体育・スポーツ関係者を雇用するなど、新たな事業展開に役立てられている。 4)駅機能の市中への展開  駅構内から鉄道本来の施設が減少していくかわりに、市中に駅機能を展開させていこうとする動きも存在する。JR各社とも、営業支店や事業エリア外への旅行センターの出店東京事務所(JR北海道・西日本・四国・九州)など営業拠点を新設し、企業向け通勤定期の一括販売や大口顧客獲得へ向けたセールスを行なっている。東海道新幹線の収入に大きく依存するJR東海では、大きな需要を有する東京地区での駅が限られるため危機感を募らせ、販売網獲得へ向けて躍起になっている。このため、無店舗販売として市中大型書店にチケットカウンターとして端末設置を設けて発券サービスしたり、東京近郊の住宅地ではコンビニエンスストア(ファミリーマート)での予約・発券の取次ぎも行なわれている。 *この場合、特急券と乗車券のセットでの販売、割引扱いなし、切符は翌日以降渡しなど、制約も多い。 また、大口利用者には企業向けに端末を設置したり(JR東日本)、電話予約、カード会員への特典などがJR各社とも行なわれている。 6、鉄道駅の伝播 1)高速道路におけるサービスエリア施設  我が国の高速道路は、運賃プール制による有料制度が採られている。そのためユーザー用施設は、無料開放の欧米と比べ概して良好な水準にあり、無料開放しない有料高速道路の管理の根拠となっている。そのうち、道路案内所、トイレなどサービスエリア内の施設は休憩施設として位置付けられ、道路施設協会が運営している。最近では、レストインやショッピンク街・温泉、ハイウェイオアシス、公園(森林公園・子供の国)と一体化したユニークな施設が出現している。例えば、スキー場が高速道路と直結した事例(上信越自動車道佐久平ハイウェイオアシスに隣接した佐久スキーガーデンパラダイス)は、ユニーク鉄道駅顔負けの事例であろう。さらに、地元負担によるインターチェンジ増設(開発インターチェンジ制度)や、高速道路ルート決定の際に地元との調整の手段としても用いられる高速バスストップなどは、交通路として地元との関係が鉄道と共通することを示すものといえよう。  2)一般道路への「道の駅」の設置  「道の駅」とは 地方自治体が国道など幹線道路沿いに休憩施設として、駐車場(概ね20台以上)や水洗トイレ(24時間使用可能)を案内人配置の上設置し、全国的に登録していくものである。いわば公営ドライブインであり、地元自治体サイドでは地域情報発信機能(文化教養・観光施設)として物産販売所を設置し、道路管理者による新たな補助事業(特定交通安全施設等整備事業)として脚光を浴びている。現在のところ、この施設の設置は、交通の要礁よりは地方のルーラルエリアが多く、また公共交通では利用しにくい状況にある。また、立派すぎるトイレが出現したり、従来の民営ドライブインや鉄道駅・バス停との関係をどうするかなど、課題も残されている。 *「道の駅」は、「道路に駅があってもいいのでは」(中国地域づくり交流会)ときわめて素朴な意見が発端であり、すぐさま「道の駅」懇談会が組織され提言を得て、1993年には早いくも建設省道路局長通達(「道の駅」の登録・案内について、「道の駅」の登録・案内要綱の当面の運用について)が出され、第11次道路整備五カ年計画で施策の一つとして位置付けられ、さらには道路開発資金(ロードパーク・クリエイティブロード・道路空間高度利用・オープンスペース整備等16項目の事業に認定)、日本開発銀行・北海道東北開発公庫の低利融資対象(「道の駅」登録が前提)など制度・予算面の裏付けられた。建設省道路局の意向とも合致したため、急速に展開したのである(建設省道路局監修、1993)。しかし地元では、当初「道の駅」の知名度はほとんどなく、単に「立派なトイレ」との認識が大勢である。  3)バスターミナル  その他、鉄道駅に類似する形態としてバスターミナルがある。多くの場合、バスターミナルはバス事業者が自ら単独で設置する専用自動車ターミナルであり、自動車ターミナル法に基づき多数の事業者が共通で使える一般自動車ターミナルはきわめて少数である。また高速バスターミナルが新たに作られることも少なく、新規に開設され人気のあるバス路線で、駅前広場からはみだして路上駐車しているケースも散見される。また、高速道路上のバスストップも運行形態によっては閉鎖のまま活用されていない箇所も存在する。これらは、要するにこれまでバス事業者が、事業拠点以外にターミナルのコストを負担せず、フリーライダーの状況にあり、高速バス運行後も既存のターミナルを利用していることが背景にある。今後は、バス事業者が適切な負担によりよりよい「バスの駅」が実現するようお願いしたい。 7、おわりにー鉄道駅の今後の将来像ー  以上述べてきたように、鉄道駅をめぐる近年の動向を、その制度・形態・機能など様々な面から類型化しつつ、検討してきた。  まず第一の、JRの大手私鉄モデルの事業展開は、旅客の利便性を重視しきめ細かく利潤最大化を目指す旅客サービスの改善のため、短い駅間距離と高いフリークエンシーという、地域密着型の都市鉄道を目指し、同時に土地を機軸に兼業を地域総合生活産業としてグループ展開する際、駅を営業拠点と見ることだが、この点が民営化後各社が強調している。  第二には、旅客サービスの自動化・電算化・情報化では、現業部門の作業の近代化と人員削減を狙って不況の長期化という経済状況景気の変化は、事業者に採算性確保の要請が強く求められた収益重視とセグメント別の対応であり、今後は採算分野とそうでない分野が大きく異なった対応となっていっている。 第三の新たなライフスタイルへの対応だが、駅のプラットホームにホームドアがなく危険なままであったり、バリアフリー対策が法律制定まで不十分だった点が指摘される。それは、重点分野には積極的だがその一方で消極的対応に終始し、こうした施設改善が後回しにされてきたことを如実に示すものである。こうした消極性は鉄道利用自体のの衰退を招いているケースも散見される。企業イメージ重視との兼ね合いや、PR・宣伝効果であり、これは事業者にとって駅の空間が次第に公共・公益空間としての側面から営業空間と変化しているのである。 第四の地方自治体主導の地域振興策への拡大との関連については、従来から地元に一部費用の負担面を求める「請願駅」(事実上の「地元設置駅」)や駅舎の合築をめぐっての地元自治体との交渉という手法があった。こうした際でも、JR新会社対応にはいまだに国鉄時代の感覚が払拭されていないとの指摘が少なくない。もっと地元との関係を実質的に強化する方策を期待したい。むしろ環境保護の視点から、駅がより地元の都市計画や地域の土地利用計画と整合性をもつべき時代となっている。にもかかわらず制度的障害があり、交通体系を管轄する行政が建設省・運輸省と複数の行政領域が複合して縦割りに形成され複雑な調整が不可欠であり、大きな困難が生じ長い年月を要してきた。国土交通省への再編でこの傾向がいかに変化して行かせるかにかかっている。  参考文献 青木栄一他編(1993):「多摩の鉄道百年」.日本経済評論社,306p. 青木栄一(1993):現代の駅を考える.シンポジウム「奥多摩5駅ものがたり」記録集(財・東京市町村自治調査会)7〜14. 天野光三他(1992):「図説鉄道工学」.丸善,306p. 岡並木他(1987):「駅の新しい機能ー広場化・情報化」.地域科学研究所,800p. 片山修(1989):「JR躍進のプロセス」.毎日新聞社,293p. 建設省道路局監修(1993):「道の駅の本ー個性豊かなにぎわいの場づくり」.ぎょうせい,178p. 西日本道の駅研究会(1995):「西日本『道の駅』ガイドブック」.ぎょうせい,281p. 交建設計・駅研究グループ(1994):「駅のはなし」.成山堂書店,234p. 関口昌弘(1987):「私鉄ー日経産業シリーズー」.日本経済新聞社,237p. ステーション倶楽部(1988):「駅ーJR全線全駅(上)(下)」.文春文庫, 高木豊(1993) :「その先のJR東日本」.にっかん書房,262p. 財部誠一(1993) :「JRの企業力」.実業の日本社,239p. 武田泉(1991,分担執筆) :駅が招いた通り(札幌市教育委員会編『さっぽろ文庫58・さっぽろの通り』北海道新聞社発行所収). 武田泉他(1992):鉄道新駅開設と輸送改善ー地方都市圏を中心にー.Mobility,87,86〜96. 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