武田論文集(北海道地理 1994投稿)  エコツーリズムの概念とその応用 ー公共交通優先政策との関連を視座に入れてー  武田 泉(北海道大学大学院・環境科学・博士後期課程) Concept of the Ecoturisum and it's application ーthe policy of Public Transport Izumi TAKEDA (Graduate Student on Enviromental Science,Hokkaido University)  1、はじめに  「エコツーリズム」は、自然環境へ人間活動のインパクトを極力押え、自然保護と観光の共存を目指そうとする概念である。「グリーンツーリズム」という用語も、自然に優しい観光形態を表わす同様な概念として、用いられることがある。この考え方は、近年とりわけ欧米を中心とした自然保護運動家の間で、「エコツアー」の企画実践などを通じて広まりつつあるといえよう。  エコツーリズムについては、WWF(世界野生動物保護基金)ワシントンDC事務所でエコツーリズム・プログラム事務局長を務め、エコツーリズム推進の第一人者というべきエリザベス・ブーによる議論が、興味深い。彼はこれらの論稿は、我が国でも「国立公園」雑誌などで報告されているが、ここではエコツーリズムの概念と日本国内への受け入れられ方を検討し、論議の手掛かりを提供したい。  2、海外におけるエコツーリズムの潮流と実施状況  先述のエリザベス・ブーによる論文「エコツーリズム・ブームー開発と運営の手法ー」においては、エコツーリズムの概念を説明する第一部と第二部のガイドラインの二部構成となっている。この第二部の内容としては、エコツーリズムに関する実践的な戦略の開発や運営の方法としていかなる検討が必要かとして、次のような項目が取り上げられている。 1)自然保護地域の荒廃や観光客による損傷の防止 2)自然保護地域地元の雇用促進、地域にその観光収益を入れる 3)環境教育の機会の提供  そして、ガイドライン作成のための診断の体系として、以下の4つの段階を設定している。  第1段階:現況の把握  ここでは、公園内と公園外とに分け、それぞれ課題が把えられるべきとされている。 公園外では、地元(コミュニティ)、地方、政府(国家)、民間企業、自然保護団体(NGO)、に関して 公園内としては、自然資源、訪問形態、基幹施設、公園職員、に対して  第2段階:望ましいあり方の決定  ここでは、訪問者の欲求、自然資源(保存のため妥協できない貴重なもの)、地元共同体(受益者の画定)、受け入れ国のバランス(社会システム)、などの諸条件について検討することが求められている。  第3段階:そのための戦略の策定 ここでは、公園内の実情と、公園外とのつながりを自然的・経済的・社会的・文化的側面から整理することが求められている。  第4段階:報告書・資料・パンフレットの作成 以上の調査結果は、まとめられた上レポートが作成され、情報公開のため広く公表されるべきとしている。この議論の背景として、キャリングキャパシティの考え方が登場し、ワクーショップにおける論議も紹介されている。  以上、ブーの内容を検討した。一方、海外におけるエコツーリズム実施の代表例として、第一義的にはガラパコス諸島や国立公園などにおける貴重な自然が残る地域での自然観察やそれを支援する事業として捉えられている。他方、スイスアルプスの観光都市ツェルマット等における炭素ガス排出車であるマイカーの、市街地への乗り入れ禁止規制と巡回用電気自動車の活用などに見られ、入り込みをコントロールすることで、地域内の行動パターンの適正化を図ろうとするケースも見られる。  3、日本国内におけるエコツーリズムの概念と実践  一方、国内でのエコツーリズムの取り上げられ方は、国立公園の適正な利用形態の定立を目標に、主として環境庁サイドによってその概念がさかんに紹介されている。「我が国におれるエコツーリズム展開の方向性」と題する阿部(1993)では、次のように書かれている。  対象地は自然保護地域とし、目的を恒久的な自然環境保全とする。活動内容では、自然・文化に関するガイド、自然への理解を深める活動とされ、事業形態としては、観光収入を地域振興・環境教育・自然保護へ活用されることを目指す内容となっている。また、マスツーリズムによるオーバーユースが顕在化していて、海外では訪問側と受け入れ側との間に、文化面・生活面で大きなギャップが生じているが、我が国ではそれほどあるわけではない、と指摘している。  こうしたエコツーリズムを実現するための対策として、情報提供、ガイドの育成、地域・期間を限定した利用制限の設定、自然保護のための対策となる事業とそのモニタリングの実施、総合的な計画を樹立し、ガイドラインを作成したり関係諸機関との連携を深めることが重要と、事業具体化に向けてのメニューが取り上げられている。  こうした阿部(1993)におけるエコツーリズムの紹介と、これから述べる環境庁サイドによるエコツーリズム実施・推進のための方向性では、自然地域内におけるソフト面のサービスの提供方法に関するもの検討がほとんどを占める。例えば環境庁サイドの考えるメニューとしては、ネイチャートレイルやビジターセンター・エコミュージアムの整備、アニマルウォッチングなどの自然解説を行なうネイチャーガイドの育成と制度の充実、環境教育との連携、など日本の国立公園内での実施を想定したものである。一方、海外の事例で指摘されていたような入り込みのコントロールを図るために必要な自然地域までの交通手段のコントロールについては、ほとんど触れられていないのが、我が国におけるエコツーリズムの把えられ方特徴的である。  4、考察と検討ーエコツーリズムと公共交通機関優先策との関連を中心にー  本来エコツーリズムは、自然地域における行動のみならず、日頃からの日常生活におけるライフスタイルをも含めた、全体として考えられる必要がある。自然地域における行動には、時として日常生活における習慣や価値観が反映されやすいからである。例えば、空缶の投げ捨てやゴミの分別回収への協力度などの個々人によるリサイクル意識の度合いは、少なからず自然地域における自然との接し方・態度に大きく影響を与えると考えられるからである。各人の自然保護への貢献意識の有無などは、エコツーリズム実施に当たって不可欠な要素といえよう。  とりわけ我が国では、環境庁サイドにおけるエコツーリズムの把えられ方は、「自然体験活動推進」にあり、自然地域内におけるソフト面のサービスの提供方法に関しての検討が中心である。とりわけ、自然地域までの利用交通手段は、自然地域内での行動パターンを大きく左右するものである。例えば、次のような状況を想定してみよう。オフロード用のRV車で、自然保護が期待される野山を平然と駆け回り、植物に損傷を加えたり土壌を掘り返し侵食を巻き起したりしている状況を目撃した場合、その行為に対して平気な顔ができるのだろうか、それとも腹立たしさを痛烈に覚えるだろうか。こうした問いかけに対する回答では、その人の持つ自然保護意識の他に、自動車運転免許やマイカー・RV車などの所持の有無、公共交通機関の選択状況などと、大きな関わりを持つと考えられる。我が国におけるエコツーリズムでは、マイカーの乗り入れ規制などの対策や自然地域までの利用交通手段の計画については、ほとんど触れられていない。むろん日本の環境庁も、対策を実施すべく努力している。 それが、国立公園における自動車利用適正化要綱である。この要綱はいわゆる「お願い」の形となっている。環境庁が現行の自動車利用適正化要綱を発展させるべく、立山(アルペンルート)・尾瀬等で実施されていて、知床・奥入瀬渓谷などでは今後の実施へ向けて準備中である。しかし尾瀬では、東京から夜行で直行する会員制バスにより、シーズン中は入り込みが早朝の夜明前後に集中し、また利便性のため自然地域への意識・備えが不十分な人の入山を許してしまい、自然破壊の要因ともなりかねない状況にある。また、管理当局である環境庁がこうした要綱以上の強い対策が採れない理由として、日本の国立公園が地域指定型で、土地所有権を有しておらず、総合的・実効的な管理権限を有しているとは言い難いことと無関係ではないであろう。しかし近年、ようやく様々な試みが実施されるようになってきた。  1993年、奥日光地域で一つの対策が講じられた。日光国立公園の特別地域内に位置する日光市道1002号線は、国道 120号線から中禅寺湖へと向かって走る行止りの道路で、湖岸の千手ケ浜地区にあるバンガロー・キャンプ場などの利用施設へのアプローチ道路として利用されていた。しかし対策の実施前は、交通量がシーズン中の週末で一日1000台、夏のピーク時で2000台余りも記録していた。モータリゼーションの進展に伴う自然地域への人間活動による悪影響としては、道路の渋滞、路上駐車の増大による歩行者通行上の危険増加、道路外への自動車類の乗り入れとそれに伴う植生の破壊や土壌侵食、ゴミの投げ捨てによる環境の悪化、自動車の排気ガスによる植生や動植物への悪影響が挙げられる。  この交通規制対策では、一般者を規制するかわりに公共交通手段を整備することとし、そのバスに電気バスあるいは低公害のハイブリッドバスを運行することとし、「自然に優しい形態」として、一般の訪問者への理解を求めることとした。この対策は、栃木県庁自然保護課が計画を策定し、実施に移されることとなった。バスの運行は、このエリアを事業エリアとする東武鉄道の子会社のバス会社が担当することになった。  この対策の実施に当たって、一つの問題が投げ掛けられた。通行が規制されているはずの通常のエンジンを積んだ貸し切りバスが、この道路を走行してきたことである。このバスは、この道路を利用しなければ到達できない埼玉県草加市立自然の家へと向かう、草加市内の学校生徒のバスなのであった。草加市教育委員会側は、これまでもこの道路を同様に使用してきたとして既得権を主張、規制の完全実施を図りたい栃木県側と論争になった。今後栃木県は草加市教育委員会側と十分話し合っていきたいとしている。  今一つの対策は、鉄道の活用である。つまり、一定数の入り込みが存在する中でマイカー規制をして入り込みをコントロールしようとする場合、登行施設(ケーブルカー・ロープウェー)や軽鉄道の活用も考えられる。特に電化された鉄道であれば、排気ガスの心配はなく、用地的にも道路より小面積で建設が可能である。1993年の自然公園法施行令の改正で、運輸施設の他に利用施設として鉄道事業法と軌道法による鉄軌道が付け加えられたことも、この軽鉄道活用に弾みを付けることになろう。元来軽鉄道は、我が国では大正時代に成立した軽便鉄道法による国庫補助を受けルーラル地域に鉄道を敷設する手段として建設されたものが主流で、現代的な自然保護と観光との両立を図るための方策として検討されることは、これまで皆無であった。既存の鉄道を活用して、より有意義な改築を目指したものとしては、これまで箱根登山鉄道が輸送力増強を図るため2両編成を3両編成としたこと、大井川鉄道井川線にラックレールを付設してアプト式鉄道としたこと、などに限られる。  長野オリンピックを控える長野県では、新たな観光開発への機運と自然保護への模索が行なわれている。菅平高原の真田村と上高地を抱える安曇村で、登山鉄道構想が浮上している。前者ではスイスのリゾートイメージに近付けるため、スイスと同様の登山鉄道を計画しているものである。後者については1993年末に、地元安曇村が「上高地自然保護対策事業の推進にむけて」と題する提言書を発表したことが論議活発化の契機となっている。国立公園上高地では現在、夏のピーク時にはバス・タクシーが2000台を上回るなど、入り込み・利用形態に関する問題点が山積している。さらには、将来の交通量増大への対応を考えなければならず、この構想では、軽鉄道を含めた新しい交通システムにより霞沢岳直下をトンネルで抜け、結ぼうとするものである。こうした構想の背景として、北アルプスを貫く安房トンネルの掘削が難工事の中進捗し、岐阜県飛騨・高山方面への国道の通年通行の開始まで、あとわずか数年を数えるのみとなった。この道路の開通により、通年にわたっての袋小路の状況が解消されると、 上高地への入り込みの飛躍的増加や移動コースの変更、行動パターンの変化が見込まれる。そうした状況を想定して、今のうちから入り込みをコントロールすべく、抜本的対策を講じようとしているのである。このうち登山鉄道構想については、雑誌「旅」の連載を通じて、人気鉄道旅行作家の宮脇氏によるプランが全国的に話題となったが、採算性をはじめとして今後の十分なフィージビリティの検証が、不可欠といえよう。  この他、屋久島における森林軌道の改築案や長野県木曽赤沢自然休養林の森林鉄道など各地で保存鉄道が作られるようになった。こうした復活運動は、単に産業考古学的な視点だけではなく、今後は自然保護への活用も検討されよう。その際は、従来の運輸省の鉄道予算のみに頼るのではなく、新たな公的措置・制度の創設も考えられるべきである。  5、まとめ  本稿では、エコツーリズムの概念を検討し、日本での受容について検討した。その上でこの考え方の応用として、公共交通機関優先との結合についても言及した。元来公共交通機関優先の考え方は、これまで都市の都心部における「歩行者天国」(ペデストリアンゾーン)設定を主目的に考えられてきた。入り込みのコントロールを目的としたアクセスのための利用交通機関・手段の誘導という点では、自然地域への応用の期待が大きいといえよう。そのための保存鉄道の活用も、産業考古学的な視点だけではなく自然保護への応用のため、改築の上活用を図ることも考えられる。また、筆者らは大雪山地域で交通調査を実施しているが(武田・後藤、1993)、具体的な地域別に交通のあるべき姿を模索することも必要となろう。自然とのふれあいのや自然保護の実現、さらには望ましいライフスタイルの実現を図るため、既存の考え方を大胆に応用することが求められているといえよう。 参考文献 阿部宗広(1993):わが国におけるエコツーリズム展開の方向性.国立公園518, 8〜10. 伊藤秀三(1992):ガラパコス国立公園のエコツーリズム.国立公園501, 8〜13. 薄木三生(1992):エコツーリズム計画.国立公園501, 2〜 7. エリザベス・ブー(海津訳,1993):保護地域の管理官のためのエコツーリズムの診断と計画のガイドライン.国立公園514,16〜24. 高橋進(1992):研究フィールドとエコツーリズム.国立公園505,27〜34. 武田泉・後藤忠志(1993):自然環境保全に配慮した交通計画を目指してー大雪山国立公園における入り込みの季節変動に着目してー.寒地技術シンポジウム論文集93,288〜294. 日本自然保護協会(1992):「第一回 Pro Natura エコツアー、ヨーロッパアルプス自然保護研修現地視察報告」.171p. 増淵一彦(1993):日光における自然との新たな関係を築く低公害バスの運行について.国立公園515,24〜25. 水谷知生(1992):グリーンツーリズムー英国における環境に優しいツーリズムの試みー.環境研究85,118〜136. 宮脇俊三(1993):「夢の山岳鉄道」日本交通公社,209p.