(北海道自治研究記念投稿入選論文 1994)  交通運輸行政と地方政府の役割ー許認可行政からの脱却をめざしてー 武田 泉(北海道大・環境科学・博士課程)  1、はじめに  1993年は、55年体制が崩壊し連立政権が成立するなど、記念すべき年となった。これまでの一党支配により政策形成に深入りしすぎてしまった自民党と、それらを取り巻くように形成された利益集団による利害構造は、いわば「鉄の三角形」として固定化し、ゼネコン問題などのスキャンダル・汚職・腐敗の温床となるばかりでなく、新たな政策形成への障害となってきたのである(山口、1993)。 こうした文脈から「鉄の三角形」の一方の当事者である行政の行動と、中央対地方関係などに大きな関心が注がれるようになってきた。それは、実質的に我が国における重要な政策決定とその実施プロセスが、国会の議決を必要な法律よりも、行政官の裁量の大きい許認可・通達・免許制度や口頭での行政指導により行なわれているからである。このことは、官僚が諮意的な決定をもたらす可能性をも秘めている(新藤、1992)。また我が国では、官僚の優秀性が誇らしげに論じられる。官僚制の特徴については、ウェーバーの議論が有名であるが、我が国での官僚制の特徴を分析する上で、人事や、予算・権限でのインクリメンタリズム(漸増主義)は、「行政の継続性」の名のもと、ひとたび決定した行政のベクトル・進むべき方向性を、新たな考えのもと転換することの困難さを示すものといえよう。  その上、中央省庁のエネルギーの源泉は、藩閥政治を起源とし縦割りの権限拡大を狙って群雄割拠し縄張り争いをする省庁間競争にあるとも言われている(辻、19 )。このため、人気のある政策分野には、権限獲得に複数省庁が無意味なまでに競争を演じる一方、不人気な政策はたらい回ししようとするなど、チグハグな対応となる。前者の事例としては、新交通システムをめぐる運輸省と建設省の関係、電気通信をめぐる郵政省と通産省の関係、国立公園管理をめぐる環境庁と林野庁の関係は、まさに明治近代政府設立以来の百年戦争の様相がある。また、鉄道事故調査に及び腰な態度を取る運輸省の姿勢などは、まさに後者の事例であろう。  他方、視角を中央対地方関係に転じても、官僚制と権限へアクセスとして、様々な行動が存在する。国と地方自治体間や、本省と地方出先機関間では、温情的な上意下達とヒエラルヒー的支配構造がある。そこでも、期成同盟会による陳情などの圧力団体のロビー活動を通じて、「鉄の三角形」が形成され、業界団体をも巻き込んだ利害共同体が形成される。  本論では、このような行政とそれを取り巻く利害関係者の構造を、交通・運輸という特定の政策分野について地域の立場から検討・分析する。そして、今後のこの政策分野に関する地方行政のあり方に関するの一つの解決方策として、「地方交通監督官(仮称)」制度を提案しようとするものである。  2、免許制度と業界団体  ー高速バスを事例とする道路運送事業の場合ー  1993年夏、お盆を中心とする20日間にわたって、札幌駅から石狩沼田(空知管内)へJRの都市間バスが一日2往復した。多客期にテスト運行する事例は、都市間高速バスの定期運行にあたっての常套手段として全国各地で見られるものであり、いわば定期運行への実地予行の意味合いを持っていた。このバスは、札幌駅を発車すると、途中は停車せず(クローズドドア)、浦臼から終点石狩沼田駅までが降車専用で、各町毎に一つずつ停車している。こうした運行なら、道央自動車道を経由して奈井江砂川インターチェンジから一般道に出て、石狩川を渡り国道 275号線に向かうルートが常識的である。このバスの運行形態が、なぜ道央自動車道を経由した高速バスにならなかったのだろうか。  JR北海道(国鉄)バスの持っている乗合免許路線は従来、図1のように札幌駅〜(国道12号線経由)〜岩見沢駅と、岩見沢駅〜峰延〜石狩月形駅、石狩月形駅〜(国道 275号線・橋本町経由)〜滝川駅、滝川駅〜(橋本町・国道 275号線経由)〜石狩沼田駅であっ。特急バスの岩見沢市内の運行経路は、国道12号線バイパスではなく、停留所がないにもかかわらず旧道を経由していて、時間的にロスしていた。このような経路は、上記の一般路線の経路を忠実にトレースしたもので、それらをつなぎ合わせると、まさしく札幌〜石狩沼田駅間の今回の特急バスの運行経路となる。したがって、このバス運行の背景を探ることは、バス事業の免許制度の実態を分析することになるといえよう。  札幌から滝川・旭川までの道央地域は、都市部をかかえ現在採算性の高い地域である。この地域も、第二次世界大戦当時の戦時強制統合政策により、バス事業は現在の北海道中央バス活齊ミに統合されている(図2)。中央バスは最大の車両数を誇る道内屈指のバス会社で、過疎地を多く抱える北海道にあって黒字の健全経営を続ける数少ない事業者である。そのため、道内バス事業者の業界団体である(社)北海道バス協会でも、これまで歴代会長を中央バス社長が勤めるなど、大きな影響力を保持してきたとされる。免許制度であるバス事業の許認可権は、運輸省の地方支分局である北海道運輸局(旧陸運局)にあるが、その幹部OBが中央バスなどの有力バス事業者の役員として迎えられることが少なくないとされる。そのOBは、受け入れ先の会社の利益を代弁すべく、なるべくその会社に有利な行動を取り、後輩に当たる現役行政官に暗黙の意向を取り付けるべく要請されている。札幌から岩見沢・滝川方面への道央自動車道のルートは、中央バスがこれまで鉄道などとの厳しい競争という不利な条件下を路線を守ってきた経緯があり、高速道路開通後も以前の輸送実績が評価されて、優先的に免許が認められてきた。バス事業者にとって、このように手塩にかけて自社が育成してきた路線に他社が参入することは、座敷に土足で上がり込んでくるようなものであり、容認し得ないことと考えられてきた。  このようにバス事業者の地域秩序は、事実上「事業エリア」という縄張り(フランチャイズ)を、運輸省が公認することによって守られてきている。道路運送法上は、運賃・路線・ダイヤを決めて毎日定期的に運行される事業には、乗合事業免許が必要である。この免許は、運行管理をはじめ施設・乗務員などに関して詳細な規定があり、その基準をクリアすることは並大抵のことではない。何より乗合バス事業では、免許路線が各社により網の目のように張り巡らされ「事業エリア」による縄張りにより、全国が地域独占の上、市場分割されてている。こうした地域独占は、公益事業の持つ「公共性」のゆえ、適正利潤に基づく運賃しか認可されないこと(価格規制)、輸送の責任を十分に果たしうる安全性や事業規模が必要で、需給調整や規模の経済性の発揮が合理的と考えられること(参入・退出の規制)、などと引き換えに実施されている。このため、新規の参入はきわめて困難で、既存の事業者にとってバス事業同志の競争は制限されていて、この点では安泰と言えるのである。むろん実際のバス事業は、マイカーなどの自家用交通手段の普及で、極めて厳しい状況にあることは言うまでもない。  しかしながら、根拠となる法律である道路運送法では、この事業エリアについては一言も触れられていない。我が国では、こうした細部の規定については、国会の議決が必要な法律で規定されることはごく稀で、通達など現場の行政官の裁量が極めて大きいのが通例である。許認可事項の多さでは運輸省は最右翼であるが、現在臨調路線の延長でもある行政改革の動きの中で、許認可事項の段階的削減を実施中である。しかし役所の側は、長年の権限をそう簡単に手放すとは考えられず、今後実効性が問われるといえよう。  さて、議論を事業エリアの縄張りに戻すと、これまで保たれていたバス事業の秩序に対し、新たな問題を生じさせたのは、高速バス事業とその運行権である。我が国の都市間高速バスは、高速道路の全国的整備などのインフラの改善、鉄道運賃・料金の高騰とサービス水準の低下も手伝って、路線がこの7〜8年間で飛躍的に増加した。  北海道における都市間高速バスを歴史的に検討すると、その運行形態と免許は本州各地には見られない独自の形態が存在した(佐藤、1986)。一般に、我が国における都市間高速バスは、乗合路線免許で運行されている。しかし、現在運行されているバスのうち、札幌・旭川〜稚内間の「はまなす号」(銀嶺バス)および「わっかない号」(宗谷バス)、札幌〜豊富間の「はぼろ号」(沿岸バス)、札幌〜北桧山間の「せたな号」と、以前の札幌〜函館間の「オーロラ号」(北都交通)は、貸切免許による運行である(図3)。その他に、現在は廃止されているものでは、札幌〜留萌間(銀嶺バス)と札幌〜浦河間(酒井観光)なども、貸切免許で存在した。理屈の上では、旅客は乗車のため観光バスでのような「会員券」を購入し、決められた集合時間に乗車場所に行って、「貸切」バスに乗り込む。毎日同じダイヤで走っており、これは何ら一般の路線バスと変りないのである。こうした形態は、全国的にも北海道だけの特例措置である。なぜこうした事情になったのだろうか。  道路運送法では、不採算で事業運営が困難ないわゆる「過疎バス」分野では、特例として白ナンバーの自家用バスや貸切バスでの、有償定期的運行が認められる。この条項を貸切バスによる都市間定期運行に応用したのである。当初札幌〜稚内間のバスは、利尻・礼文島民の要請で運行が開始された経緯がある。当時、札幌〜稚内間には国鉄の急行列車が運行され、所要時間としてはその日のうちの到達が可能であった。しかし、国鉄は車両運用を背景に都合の良いダイヤが設定されておらず、利礼航路に乗船するためには夜行列車乗車を余儀なくされていた。国鉄は再三の改善要請に応じなかったため、両島民は地元稚内のバス会社に要請した。当時、地元の乗合事業者の宗谷バスは、煩雑な乗合免許取得の必要があり、採算性も疑わしかったので二の足を踏んだ。それを聞き、地元の旅行代理店である北都観光が、貸切事業者である銀嶺バスに運行を委託することにより、札幌〜稚内間の長距離都市間運行が可能になったのである。運行開始後、このバスは利礼島民よりも稚内市民に多く利用された。 それは、国鉄急行列車に比べ、時間は多少大目にかかるものの、運賃は鉄道(急行利用)の6〜7割程度と割安であった。さらにこのバスは、観光仕様のリクライニングジートでアコモデーションが良く、テレビ・ビデオの他毛布・スリッパを常備し、スティワーデスが乗車しおにぎり・キャンデイーを配るなど、サービスははるかに充実していたからである。  このバスの運行は、乗客の支持を受け需要を喚起したため、他の事業者に様々な波紋を投げ掛けた。乗客が定着したため、旭川線も新設され、また地元の宗谷バスも「わっかない号」として貸切免許で参入した。一方乗客の流失した国鉄も、往復きっぷの大幅割引と、車両の取り替えで対応せざるを得なくなった。この札幌〜稚内間のバスは国道 232号線を通りるため、住民の要望により羽幌など途中での乗降を行なったところ、この地域に路線権を持つ沿岸バスが運輸局に異議申し立てを行なった。しかし条文には違法だとする条項はなく、沿岸バスは自社エリアを防衛すべく新たに札幌〜豊富間の貸切免許を申請するに至った。また、他の貸切専業バス事業者が、別な区間で運行を開始しようとする動きが出てきた。現在は廃止されている札幌〜留萌間の銀嶺バスと札幌〜浦河間の酒井観光のケースでは、既存の乗合バス事業者との間に摩擦が生じたのである。この際も、留萌〜滝川間等に免許を持つ中央バスが陸運局に異義を申し立てた。銀嶺バス側は需要があるとのことで運行を続行していると、中央バスは札幌地裁への提訴に踏み切り、裁判途中で銀嶺バス側は会員制貸切バスの運行を中止した。札幌〜留萌間は中央バスが乗合免許を新たに取得の上、運行がなされるようになった。同様に酒井観光の場合も、地元をエリアに持つ道南バスが「ペガサス号」として運行している。  会員制都市間バスの運行動向を見ると、中央バスのような有力な会社のエリアの場合、運行は阻止されたが、そうでない場合こうした形態の運行が今日まで継続されている。北海道では小規模なバス事業者も比較的散見されるのに対し、本州以南ではバス事業のエリアが確定しバス事業者が県内を代表する企業であることが多い。北海道では、既存事業者の間隙を縫って新規事業者が参入する機会に比較的めぐまれていたと解することができよう。  このように、貸切免許での都市間バス参入は、免許基準の緩和であり、法令の運用・解釈による一種の規制緩和だとされた。しかし当時の運輸局担当官の措置は、これまで築きあげてきた輸送秩序の破壊に当たると懐疑的態度を取る関係者もおり、これは事実上中央バスなど既存の事業者の利害を代弁しているといえる。  今日の高速バスの運行は、基本的に起点と終点を事業エリアとする既存の事業者が、相互乗り入れや共同運行の形態で、事業に参入するケースがほとんどである。便数・運賃・収入の配分等は、両社間の力関係で決まってくるといえる。こうした運行では、前出の沿岸バス参入の際のように、一般に途中での乗降はできないクローズドドア方式となっている。道内でも、層雲峡や日高町のように幹線道路ルート上にありながら都市間バスの途中乗降ができず素通りしていくケースが少なくない。地元バス会社の事業エリアを守るために行なわれているわけだが、いわばバス事業者やその秩序の維持によって、交通が不便な箇所が放置されているようにも考えられる。こうした局面の解決にこそ、行政を含めた地元の立場からの第三者の役割が重要となってくるであろう。  3、分割民営化による鉄道行政の後退  ー信楽高原鉄道事故責任追及過程からの分析ー  1992年5月、滋賀県内の焼物の町で列車正面衝突が発生し、42人が死亡するという信じられないような悲惨な事故が起こった。これが信楽高原鉄道事故である。この鉄道は、かつての国鉄が廃止対象とした特定地方交通線で、地元の強い熱意により第三セクター鉄道として鉄路が残された路線である。道内では同様な路線として北海道ちほく高原鉄道(池田〜北見間)が挙げられる。ここでは、これまでに明らかになった事故及び原因の概要を述べた上で、事故責任の追及の場面での各機関の行動と対応を分析し、地方行政の役割を検討してみたい。  事故は、京都始発のJR車両の臨時列車「世界陶芸祭号」(運転士・車掌・車両はJR西日本所属、3両編成)が、信楽高原鉄道線内列車(同社所有レールバス、4両編成)と所定の行違いをすべき小野谷信号所で停車せず、信号の青現示に従って通過し、駅間の単線区間で正面衝突したというものである。JR車両には超満員の乗客が乗車しており、衝突の衝撃で多数が車両に押し潰され死亡するという、鉄道事故としては克服されたはずの重大事故であった。上海でも、日本人高校生が犠牲となる同様の事故があった。この時は、車両連結の際ブレーキ管を接続しなかったり、制動試験を怠るなど乗務員の対応が事故原因とされた(野田、1992)。しかし信楽事故では、なぜ信号現示が青だったかが原因究明の鍵となった。 従来信楽鉄道では、国鉄時代から途中に行違いが可能な交換駅がなく、列車は起点から終点へ往復するという単純な運行形態であった。また信号システムでも、単線鉄道としては原始的なダブレットを用いた通票閉塞で、確実な動作を実行するかぎり、複雑な専門知識を必要としないシステムであった。信楽鉄道が輸送力増強を図るべく採用したシステムが「特殊自動閉塞」方式でこれが、大事故の引き金となったのである。信楽鉄道が同システムを採用の背景には、輸送力増強の要請がある。滋賀県が信楽町に陶芸の森を建設し、そこでの世界陶芸祭開催が決定し、観客の輸送問題が浮上したためである。  このような信号方式は、かつての国鉄が地方線区の合理化を図るべく考案したものである。信号電流を軌道に流すなど電気信号により、現場に要員を配置せずに少数の人員でのコントロールを可能にする方式であり、価格を押えるため装置の一部を安全性を損なわない範囲で省略したものとされる。このシステムは、故障などの際には電気等の専門知識が必要となるものであった。信楽鉄道は人件費をできるかぎり圧縮すべく、社員をわずか20人弱に抑制していたため、技術分野も専門化を置かずに兼務したり外注していた。信楽鉄道社員は、陶芸祭期間中わずかな応援要員が来ただけで超過勤務を余儀なくされ、事故前には殺到する乗客を前に信号システムが故障したとしてもだましながら列車をかろうじて運行していたという(佐野、1991)。事故当日は、故障した信号システム機能を殺して発車したが(指導通信式;いわゆる「人間ダブレット」方式)、基本動作や乗務員間の意志疎通を欠いたままだったので、大事故が発生してしまった。  以上の点からも、事故責任は第一義的に信楽鉄道側に存在することは明白だが、問題は車両・乗務員が乗り入れ、線路がつながっているJR西日本側に、事故の責任があるかということである。当初JR西日本側は、他社線内の事故であり一切責任はないと言明してきた。警察の捜査でも、原因の鉄道信号システムの専門知識を捜査担当者が持ち合わせておらず、難航した。鉄道信号システムを理解できる人材の大多数は、かつての国鉄からJR各社に移っていた。警察の捜査に、JR西日本はきわめて消極的だったとされる。身内の事故に対応が消極的になると考えることは、自然なことであろう。  約半年後、信楽鉄道の信号システムに重大な影響を及ぼす「下り列車信号固定装置」とそれを操作する「優先てこ」が、JR西日本の亀山CTCセンターに設置されていることが判明した。この装置は、信楽鉄道に接続するJR草津線列車の遅れを出さないようにする効果があり、いわばダイヤのしわ寄せを信楽鉄道に押し付けるようなことも想定されていた。これらの装置は、乗り入れ相手の信楽鉄道に十分に知らされず、また監督官庁の運輸省近畿運輸局にも届け出ておらず、鉄道事業法違反の可能性が濃厚である。  JR西日本側は、今日に至っても道義的な責任を除いて、損害賠償につながる事故の責任を一切認めていない。事故遺族の会は、こうしたかたくなな姿勢に態度を硬化させ、責任追及のため訴訟に踏み切っている。また遺族の一部は、繰り返される鉄道重大事故と原因究明と対策が後手に回っていることに業を煮やし、自ら「鉄道安全会議」を結成し、鉄道事故調査の現状について世界的に調査を開始した。  この安全会議が注目したのは、アメリカ合衆国の「連邦運輸安全委員会」で、独立した行政委員会である。連邦政府に設けられたこの組織は、大統領から任命された5人の委員が存在し、鉄道・航空機・ハイウェイ・船舶・パイプラインと部門別にわかれ、事故原因の調査と再発防止のための勧告の公表が主たる業務である。年間約47億円(換算)の予算と専門家 344人余りを抱え、詳細な調査報告は情報公開されている。中でも内容的に注目されるのは、我が国ではフェイルセイフなど機械側の要員であるのに対し、アメリカでは人間側の社会システム・組織・行動なども含めた「ヒューマンパフォーマンス」に力点が置かれていたことである(鉄道安全推進会議、1992)。  我が国において交通機関別の事故調査機関では、航空機は運輸省航空機事故調査委員会、船舶では海難審判など、道路交通では一般の警察と、事故調査のノウハウが蓄積され詳細な調査が実施されるが、鉄道だけは専門的調査の途が閉ざされている。かつての国鉄は行政機関としての機能もあったため、部内の調査委員会でも現在よりは公正な立場での調査が可能だったといえる。このように、分割民営化後の特殊会社JRを監督・監視するための体制は、いまだに確保されていないといえよう。  4、国鉄改革後5年を経たJR各社の行動変化  分割民営化による国鉄改革は、旅客部門については地域分割により形成されたJR新会社に、特定地方交通線以外の鉄道の運営が引き継がれた。改革直後はサービスの向上など改善が大いに図られ、予想を上回る成果に国民は酔いしれた。しかし改革後5年を数えるようになると、にわかに旅客にとっての改悪が目立つようになってきた。JRの運営は、景気の変動に大いに左右されるようになったと考えられ、逆に好景気の時代だったからこそ、国鉄改革の成功が図られたとも言えないだろうか。  ここでは、事例としてJR東日本による秋田地区の新型電車導入問題を取り上げてみよう。実際の鉄道事業の運営は、旧国鉄時代の鉄道管理局を引き継いだJR各社の支社があたっている。首都圏の国電や東北・上越新幹線を持つJR最大の会社・JR東日本は、このほどようやく東京証券取引所に上場を果たした。この会社にとって、東京圏の輸送問題は世論の厳しいチェックと批判を浴びることが確実である他、収益性に魅力があるため、輸送改善策は十分に練り上げられると同時に着々と進められている。しかしながら現在進められている地方の施策には、果して東京圏と同様な積極的な改善姿勢が見られるだろうか。  秋田地区の奥羽線・羽越線は、特急列車も走る幹線として、交流電化されている。しかしこれまで、ローカル普通列車に電車は投入されず、昔ながらの電気機関車が客車を牽引する方式で運転されていた。この方式では、折り返しの際に機関車を付け替える必要があるなど、付帯する作業が数多く存在した。こうした運転方式を見直し、要員の合理化と多少のスピードアップを図る方策として、新型電車の導入が実施された。ここまでは表面上、乗客の側も支持できる内容でといえよう。 事実、単線の奥羽線を複線化すべく運動をしている青森県庁主導の青森県鉄道整備促進期成会では、この新型電車導入計画にもろ手をあげて賛意を示した。県は、導入記念イベントを大々的に実施し、1993年12月1日のダイヤ改正当日には乗客に無料でオレンジカードを配布するなどした。しかし通勤客の反応は県の期待とは全く異なる裏腹な内容であった。  この車両の運転開始後、地元新聞社には苦情の投書が続々と寄せられている。「ー欠点だらけの新型通勤電車ー毎日青森まで通勤していて、新型電車導入と聞いて心待ちにしていたが、憤まんやるかたなくJRに再考を願いたい。@座席減少で定員が増え、始発からでも立たされるようになった。たかが30〜40分と言うが、駅のポイントでの揺れや釣り革の位置が高いく、毎日疲れて仕方がない。JRは、乗客を金を払う「荷物」としか考えていないのだろうか。A寒冷地なのにデッキがなく、両開きドアが直接開き寒気がドッと入り込む。座席も冬の着膨れ時には定員通り座れず、前屈みになって肩身の狭い思いで座ることが余儀なくされている。シティー感覚を押し付けるなら、まず先にやることがある。複線化と大幅な増発である。これができないなら寒冷地向きの電車導入か、せめて以前の客車に戻せ。大都会のコセコセした生活を押し付けられたくない。」極めて切実な声であるが、現在このような不満をぶつける手段が限られているのが現状である。  この新型電車の接客設備・アコモデーションに問題があったのである。この電車は東京・大阪の国電や地下鉄と同じ立客詰め込み型のロングシート構造で、列車本数が少なく寒冷地の仕様としては全くそぐわない。JR側の宣伝パンフレットの「都市型シティーライナー」「ワイドな通路と乗り降りがスムーズな両開きドア」「一人ずつ区分されたオールロングシート」と謳い文句は、全く実に表面的なものであることは否定し難い。  この背景には、JR東日本の姿勢が見え隠れしている。秋田支社での筆者の聞き取り結果では、管内の従来型の客車の置き換えを数年前から検討していて、当初は仙台地区と同様の座席数が比較的多いセミクロスシート構造の近郊型車両導入を考えていたようである。ところが更なる経費節減を求められた結果、さらに座席を削った通勤型電車の導入で構わないとの結論に至ったようである。同社の言い分は、秋田支社管内は赤字路線であること、通勤通学時以外は旅客がきわめて少ないこと、混雑時でも東京地区のスシ詰めの混雑に比べれば大したことがないことを挙げている。こうした態度は、同社にとって秋田支社管内などは、まさしく辺境の地のローカルな問題と考えられ、奥羽線のローカル普通列車の輸送改善については、鉄道事業者側の合理化の側面が、利用者の利便性・快適性を犠牲にして進められているとしか言い様がない。まさに地方分権の路線に逆行している。  実は、既にこの電車が半年前から隣の秋田県で暫定的に導入されていて、苦情の投書や新聞記事も出されていた。この時の秋田支社の回答も、「当分の間ご辛抱を」と自体改善へのインセンティブが全く感じられない内容となっている。こうした事実も存在するにもかかわらず、青森県庁は十分な情報収集を怠り地域住民の福祉・交通改善に関して、対応は後手に回ってしまった。  交通運輸分野において、地方自治体の対応が不十分な背景としては、次の理由が考えられよう。第一に、交通とりわけ鉄道の専門知識を持つ専門職員・専門家がいないことである。制度的に確立されていない点もあるが、通常県レベルの交通対策課は、単なる事務職員が担当している場合がほとんどで、独自に交通実態調査をすることもされない。そのため、JRなど事業者が提出したデータを無批判に鵜呑みに信じ切ってしまうのである。第二に、鉄道事業として採算の取りにくい地方において、道路事業との兼ね合いもあってか、新幹線建設や複線化などのインフラ改善の陳情・運動ばかりに精力を注がれている点である。以前から交通インフラの改善は、政治家にとっての選挙対策としての意味が強く、自治体首長が高い優先順位で取り組んでいる。またこうした運動は、中央の金をあてにした陳情であることが通例で、地元が大分の負担をして事業者に地元の事情を十分に配慮するように具体的に求めるということも少ない。こうしたバードの施設建設重視の要請は、土木技術者やゼネコンの意図とも合致し、「鉄の三角形」を構築していくのである。こうした理由により、交通運営方法などソフトを重視した、地方自治体による公共交通を含めた総合交通政策不在の状況が生じているのである。これでは、道路交通の改善ばかりが進捗し、自動車依存社会になっていくのは、当然のことである。  今一つの議論として、JRの会社としての性格を取り上げることができよう。かつての国鉄は、戦前の鉄道省を戦後の改革期になってアメリカ占領軍の要請を受け、私鉄に対する監督行政部門たる運輸省を分離の上、公共企業体として発足させたものである。つまり独占を背景に、国鉄の事業運営がそのまま国家的鉄道運営になるという考えのもとにあった。こうしたこともあって、国鉄は事業者(現業機関)と行政機関の両方の部門と性格を兼ね備えていた。その国鉄を分割民営化したJRは、公益事業としての鉄道事業を運営する特殊会社で、交通市場が競争的になったとはいえ、依然として地域的に強い独占力を握っている。  鉄道は、専門知識が複雑に絡み合っていて、いわゆるブラックボックスの部分が少なくない。JR発足後、詳細な鉄道統計が部内限りとなって情報の管理が進み、ほとんどの生データが非公開となってしまった。大都市以外の駅の定期・普通券別乗降人員をはじめ、断面交通量、列車別交通量(ノリホ;旅客人員報告書)、線区別収支係数など、非公開資料には枚挙に暇がない。むしろ一般の私鉄のほうが、今日では情報公開が進んでいる。このため、JR側に都合の良いデータのみが公開され、JR側に有利な議論が展開されている。一方、特殊会社たるJRを監督すべき運輸省にデータが渡されず、十分な指導監督ができないこともある。地方自治体に当たっては、権限の制約もあり当事者能力を欠いているケースがほとんどである。  5、北海道における鉄道計画の課題 ー北海道新幹線と札幌市営地下鉄問題  北海道の鉄道計画の中で、行政の設定するプライオリティ(優先順位)が適切ではないため、計画の実施が遅れている事例として、北海道新幹線と札幌市営地下鉄問題を取り上げる。  北海道新幹線問題は、北海道の交通の中で最大の懸案事項であろう。環境問題が取沙汰される中で、公共交通機関を優先させマイカーからの転換をはかる上でも、鉄道の整備は重要な施策と位置付けられよう。しかしながら他の整備新幹線沿線である北陸・九州と比べると、沿線の合意形成と計画の具体化が著しく遅れている。この背景には、@新幹線の効果への疑問(利用率・採算性)、A青森までの東北新幹線の規格が未決定(フル・ミニ・スーパー特急)、Bルートが未決定(北まわり・南まわり)、C新千歳空港アクセスリニアへのこだわりがある、D空港や高速道を含めた道路整備が急ピツチで進んでいる、などの点が存在する。現在のところ、採るべき選択肢が限られていて、八方塞がりの状況にあるのではなかろうか。  だが現実には、日々刻々と交通市場は変化するのであり、百七十万都市札幌を抱えるにもかかわらず、鉄道は未電化・単線区間も介在するこの在来線の現状のままで果たして良いのであろうか。JR北海道は、1993年3月に振子式新型車両(スーパー北斗)を導入して、札幌〜函館間を最速2時間59分と3時間圏内となることになっている。しかし、インフラは軌道に若干手が加えられるのみで、飛躍的な改善は鉄道事業者のみの力では不可能である。今のうちから少しずつ可能な改良方策を取ることは必要だが、公的な支援が不可欠なのである。  他方、札幌市営地下鉄の延長問題は、経営状況の悪化もあって現在棚上げされている。東豊線豊水すすきの〜福住間の後の、東西線手稲東延長については運輸省が難色を示している。JR函館線に発寒などの新駅が設置され、当初計画時の需要予測と合わなくなったことである。一方南北線の真駒内以南の石山方面への延長は、旧定山渓鉄道の敷地が確保され道路渋滞が著しく必要性が高いにもかかわらず、全く日程にものぼっていない。また石狩町方向へも、麻生からのモノレールを含め白紙の状況にある。  今後鉄道で建設の可能性があるのは、大都市近郊の通勤鉄道と新幹線である。北海道新幹線を、スーパー特急規格で小樽(北)まわりとすれば、貨物列車も含めて室蘭方面への在来線と直通運転が可能である。手稲と石狩町の中間付近に石狩新駅を作って、同時に札幌近郊の通勤輸送にも活用するとして両者をセットにして考えたり、赤井川村のキロロ新駅やニセコのリゾート新駅も検討するなどの方策を採れば、輸送密度のアップも想定され、実現可能性も高まるであろう。すなわち、従来のしがらみにとらわれない発送の転換が必要で、制度面で整っていないとなれば制度の整備を中央に働きかけることが必要になってくるのではないだろうか。こうした視点も取り込んだ上で、北海道新幹線問題がもっと広範に、実態的な議論ができるような体制に引き上げることが大切であろう。  6、地域交通監督官制度導入を提案する 運輸建設両省の合併  以上検討したように、鉄道など交通・運輸行政は、国家が積極的に介在する分野と認識されてきたため、現在も中央集権的な構造にある。このため地方政府・自治体の関与は、予算的にも制度的にも極めて限定されており、有効な対策・施策・計画立案がしえない状況にある。特に、JRのような地方行政を凌駕するような強大な公益事業特殊会社が存在する場合や、バス事業のエリアと地域独占のような全く法律の規定がない問題について、それらを公正な立場からチェックするような機構は、全く存在していない。また専門知識が必要な上、情報公開が決定的に不足しているため、ブラックボックスの部分が大きく、公正な判断が出来ない状況にある。行政監察という方法も、改善を勧告できる分野が極く限られていて、他の省庁が所管する課題にまで踏み込むことは、ほとんど不可能である。一方で、鉄道重大事故が発生するが、事故原因の究明では運輸省までが消極的な場合は、何ら制度的な担保がない。  こうしたことからも、筆者は「地域交通監督官制度」の導入を提案したい。この制度は地域・地方の立場に立ち、専門知識を要する交通の諸問題に対し独自な立場で勧告でき、積極的に情報公開するシステムである。すなわち、運賃・参入などの交通市場規制にかかわること、鉄道計画と道路計画の調整など総合交通計画に関すること、旅客サービスに関すること、事故調査に関することなど、交通労働・安全に関すること、こうした課題に対応できる専門家を要請することである。そしてこの機関は、運輸省・建設省とは独立した行政機関とし、都道府県もしくは地方ブロック単位に設置することが望ましいのではなかろうか。  政治・行政改革が中央において進められているが、個々の政策分野について実態的論議が活発化するように願いつつ、「地域交通監督官制度」の構想を表明したい。  参考文献 佐藤信之(1986):北海道における貸切長距離バスの伸張.鉄道ピクトリアル459. 佐野真一(1991):ドキュメント「信楽高原鉄道事故」.プレジデント29-10 森田朗(1988):「許認可行政と官僚制」岩波書店. 新藤宗幸(1992):「行政指導」岩波書店 辻  (19 ):「日本の官僚制」岩波書店 鉄道安全推進会議(1993):「鉄道安全推進会議設立総会・シンポジウムー鉄道事故調査の第三者機関の設立をー」. 野田正彰(1992):「喪の途上にて」岩波書店山口二郎(1992):「政治改革」岩波書店