JR西日本富山港線LRT化の歴史的経過とこれからの展望

全国鉄道利用者会議 事務局長 原田 貢彰(富山県出身)

 

@北陸新幹線開業に伴う並行在来線の経営分離についての富山の状況と富山港線の歴史

昭和63年に整備新幹線開業時に並行在来線は経営分離するとの政府・与党申合せに基づいて東北(盛岡―八戸)・北陸(高崎―長野)の各新幹線開業後の在来線はそれぞれ自治体が出資した第三セクターとなり各JR会社より分離されました。富山県及び沿線自治体としては平成12年に長野―富山間の北陸新幹線整備が決定し、並行在来線である北陸線が分離されるだけでなく富山港線などの枝線も分離されるのではということを危惧していました。当時、新聞等のマスコミでもこの問題が取り上げられており、市民レベルにおいても富山港線の路面電車化の要望が寄せられていましたが、行政やJRを動かすまでには至りませんでした。
JR西日本富山港線は大正13年に私鉄として開業(8km)し、昭和18年に国有化された歴史の中で富山市北部地域の重化学工業地帯の動脈としての役割を果たしていましたが、産業構造の変化により富山港・沿線の工場からの鉄道貨物を廃止し、現在では中心部とを結ぶ生活路線としての役割を担っています。しかしながらモータリゼーションが進展した現状においては沿線人口の減少(平成7年から12年の5年間で約3%)、少子高齢化による通学者の減少等もあり、利用者が同時期に約25%減少しています。開業当時から電車による運行でしたが現在は1時間1〜2本の運行で日中はディーゼル気動車の1両運行になっており、全国の地方鉄道に見られる利用者の減少から運行本数を減らし、さらに利用者が減少するという悪循環に陥っています。

A可部線以降のJR西日本ローカル線の一方的廃止からLRT化の提案へのコンセンサスを重視した方針転換

 平成15年2月、JR西日本はローカル線の活性化案として岡山県の吉備線と富山港線のLRT化を発表しました。この提案は、当時検討されていた北陸新幹線建設に伴う富山駅連続立体交差事業に関連し、同線の高架化を取りやめて路線の途中から富山駅北口まで都市計画道路に軌道を新設するという計画でした。これは平成14年11月に広島県の可部線廃止届に至る経過から比べても路線の一方的な廃止から地域の意思表示を重視する方針に転換した画期的な出来事と言えるでしょう。また、この過程にはJR西日本の前社長とRACDA岡会長との長年にわたる岡山県の吉備線と岡山電気軌道の路面電車との直通化の提案も影響しているのではないかと思われます。

B万葉線転換を経験した富山県・富山市の公共交通に対する現状認識と今後の姿勢。調査から実現に向けて

 富山県は平成11年度に一世帯あたりの自家用車保有台数が1.64台と全国平均の1.07台を上回り全国1位であり、平成12年の国勢調査では自家用車通勤・通学の割合が72%と山形県に次いで全国2位となっています。これは平成12年の富山県の道路整備率69.5%で全国1位、道路改良率73.0%で全国2位であり、極めて道路環境が整備されていることが原因であると考えられます。この状況では富山県としてはマイカー中心主義のように見えますが、県の対応は違っていました。平成13年富山県と沿線自治体の高岡・新湊両市、そして市民が出資した「万葉線株式会社」が発足し、翌年万葉線を運営していた加越能鉄道から路線を引き継ぎました。これは行政主導の「乗って残そう」運動から市民も参加し、責任を持つという全国的に見ても地方ローカル線の新たな存続運動のさきがけとなったといえます。富山県として公共交通の重要性を認識している表れといえます。
一方、富山市においても平成15年5月に森富山市長が同線のLRT化を正式に表明しました。また、これに合わせて住民説明会を開始し、6月市議会に軌道敷設のための調査費用3,500万円の補正予算案を提出しました。富山県はほぼ中間に位置する呉羽山を境にして東側の富山市を中心とした「呉東(ごとう)」と西側の高岡市を中心とした「呉西(ごせい)」に生活・文化の点において異なる歴史を持っています。「万葉線」の由来となった時代から国府が置かれていた高岡と江戸時代の富山藩の中心であった富山の意識の違いは今でも存在しています。この経過を考えると「万葉線」に負けるなという対抗意識もあったのではと思います。

C中心商店街活性化・コミュニティバス等の行政の施策と同じように公共交通も

 富山市においても全国の地方都市に見られる郊外の大規模店の展開が急速に進んでおり、中心商店街の衰退が問題となっています。富山市の中心商店街の活性化として中央通り商店街青年部のアイディアから始まった若い企業家に低家賃で空き店舗を貸す「チャレンジショップ」が行政・商店街などが一体となった取り組みによって成功し、賑わいを取り戻しつつあります。現在この事業はタウンマネジメント機関(TMO)として第三セクターの「まちづくりとやま」が運営しています。また、同社はコミュニティバスの運行も行い、富山市の「富山市中心市街地活性化基本計画」において重要な役割を果たしています。この例からも市民が「行きたい」と思う目的地を活性化することも公共交通を再生することにもつながるのではないでしょうか。
公共交通を考える上でまず理解して頂かなければなければならないことがあります。公共交通は東京都交通局などの公営も「事業者」であり、行政が一般会計に計上するものではないので行政における「公共」ではないのです。そのため各自治体の都市計画やまちづくりにも公共交通は入っていません。今回行われる富山駅周辺の鉄道の高架化も道路交通の円滑化が主目的でガソリン・自動車重量税などから支出されています。「事業者」であるがゆえに各地の存廃問題がおこった時に初めて沿線自治体が個別に支援スキームを作っているのです。「富山市中心市街地活性化基本計画」に富山港線のLRT化が位置付けられたことは、富山市において公共交通がまちづくりに生かされ、存廃問題から都市の装置へと鉄道の役割が行政においての「公共」になることだといえます。
また、富山県東部における「事業者」である富山地方鉄道(以下富山地鉄と略します)50年史の中で「自動車輸送業や航空事業の伸びの著しい理由の一つは、道路建設費の負担が大部分公共の負担となり、飛行場は国民の税金で設けられているに反し、国鉄、地方交通の通路である線路の建設費が輸送業者に負担に属することにある」とあります。施設の維持についても同じことが言えるのではないでしょうか。「公共性」と「採算性」という矛盾を抱えながら経営を行う「事業者」の苦悩がここから感じられます。

D富山市における路面電車網の現状と鉄軌直通の歴史。富山では当たり前だった。

 富山市における路面電車は私鉄として大正2年に開業し(5km)、大正9年に富山市営となり(10.8km)、昭和18年に富山地鉄に統合されました。昭和42年の最盛期には環状路線を含め6系統の路線網がありましたが現在は南富山―西町―富山駅―大学前の区間での2系統(6.4km)の運行となっています。
富山地鉄は昭和50年に笹津線(12.4km)・昭和55年に射水線(14.4km・万葉線の富山側の路線)の2つの郊外鉄道線を廃止しましたが、笹津線は南富山駅で、射水線は新富山駅でそれぞれ市内線に乗り入れていたため、ヨーロッパの都市に見られるLRTの都心と郊外の直通という概念が富山には根付いていました。昭和41年に現在の万葉線が富山新港の建設に伴い分断される前は高岡から富山市の中心である西町まで約20kmの区間に直通電車が走っていました。軌道線(路面電車)と鉄道線の違いはなかったのです。金沢市・福井市も同様で北陸の都市交通においては当たり前だったのです。

E富山駅連続立体交差事業の決定。概略内容

 平成15年8月に平成16年度国土交通省道路関連予算の中に富山駅付近の連続立体交差事業が新規採択されました。これは富山駅付近のJR北陸線2kmを高架化し交差する4つの都市計画道路を立体交差させるもので、16年度から着工準備に入る予定になっています。

F富山港線LRT化の展開。富山地鉄市内線との直通化による利便性の向上。

 富山市の要請を受け平成15年7月から検討を進めてきた富山港線路面電車化検討委員会が11月に中間とりまとめを発表しました。報告の中で、路面電車化は平成18年に実施し、4箇所の停留所の新設・15分程度の間隔で運行する計画で、現在の利用者数3,400人/日から開業時4,200人/日に需要を向上させることを目標にしています。さらに連続立体交差事業が完成した後、富山駅の北陸新幹線・在来線の高架をくぐり、既存の富山地鉄市内線との直通を視野に入れたものになっています。現在、市の中心商店街である総曲輪・中央通り等の中心商店街へは富山駅で市内線に乗換なければならないが、この直通化により、乗換なしで行くことができることになり、現在の鉄道線に比べ利便性が向上します。この時点での利用者数は5,000人/日まで増加すると見込んでいます。これは社会的便益の試算に基づいていて、現路線のバス代替化を基準として@高架化A路面電車化の各ケースを試算した結果により、路面電車化が最も社会的価値のある事業であると評価しています。また、市民へのアンケート結果からもLRT化によって半数以上から利用機会が増えるとの回答が得られており、マイカー中心の富山においても公共交通の必要性が理解されているといえます。

G他路線への応用・市域を超えた展望。実は地鉄によって昔から考えられていた。行政による「富山県一市街化」

 さらに富山県では職員レベルにおいても富山県交通政策チームをつくっており、既存の高山線のLRT化など県内全域の公共交通の活性化を提案しています。
 富山地鉄の創立者である佐伯宗義氏(故人)は富山県のどこからでも鉄道のネットワークによって富山市へ1時間で行ける「富山県一市街化」を戦前に提唱していました。万葉線を運行していた加越能鉄道は富山県西部地域と石川県を結ぶ鉄道ネットワークを形成するために富山地鉄から分離して設立された経緯を持つ会社です。地方鉄道としては遠大な構想を持っていました。富山―高岡間に路線を開通させるためにモータリゼーションが進展していた昭和47年まで用地の確保を行っていましたが、現在この部分は富山県のサイクリングロードとなっています。富山地鉄の大株主は富山県であり、沿線の首長・自治体議員が参加する参与制度を持っています。実は戦前から第三セクターであったといえるでしょう。立山黒部アルペンルートも同社の系列会社によって開通し運営されています。少子高齢化・環境重視が叫ばれている今、新たな形での「富山県一市街化」を実現する時ではないでしょうか。

H市民の支援によって実現し、まちづくりに生かそう!みんなのLRT!

 再び富山地鉄50年史の中で「すべての交通機関が公正競争を行いうる平等の立場に立って、総合的に輸送を考え、最高度の輸送機能を発揮する交通施設の建設整備を行うことを要する」とあります。地域の交通のあり方を市民が考え、行政・事業者と共によりよいものとするために責任を持って答えを出していく、富山港線のLRT化は公共交通を生かしたまちづくりを実現するための市民が参加できる大きなチャンスではないでしょうか。もっといいまちを創るために!

参考文献
路面電車ルネッサンス 宇都宮浄人著 新潮新書 平成15年9月
変わる商店街 中沢孝夫著 岩波新書 平成13年3月
富山地方鉄道50年史 理念編 富山地方鉄道 昭和57年4月
写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み 富山地方鉄道 昭和54年7月
鉄道ジャーナル 平成15年8月号 RAILWAY TOPICS
鉄道ジャーナル 平成15年12月号 「平成16年度予算」概算要求 佐藤信之先生の報告
鉄道ピクトリアル 平成9年8月号 富山地方鉄道特集の各記事
富山港路面電車化検討委員会 中間とりまとめ 平成15年11月
富山県交通政策研究グループ 「富山型」公共交通優先社会への提案 平成14年12月
参考ウェブ
国土交通省鉄道局
富山県土木部新幹線建設課
富山市都市整備部新幹線・富山駅周辺整備課
まちづくりとやま


www.riyosha.org