「御忌」 (ぎょき)
 

 御忌とは、元来天皇や皇后などの忌日に行われる法会をいう言葉でしたが、大久四年(1524)後柏原天皇が勅許をもって、法然上人源空の忌日にもこれを称することを許されたものです。

 法然上人は、建暦二年(1212)正月二十五日お亡くなりになりました。
以来毎年、お弟子さん達によって一月二十五日までの七日間法会が営まれてきたと、記録に伝えます。
一月の法会が四月に変わったのは、明治の初め京都の総本山・知恩院の御忌会に全国から参詣して来る人が増え、おりから暦が陰暦から陽暦に変わったこともあり四月に改められたといわれます。

 現在、総本山知恩院や、東京の増上寺、京都の金戒光明寺、百万遍知恩寺、粟生光明寺などの大本山で行われている御忌は、四月十九日から二十五日までですが、一般の浄土宗寺院では、旧来通り一月二十五日を中心に営まれることが多いようです。
知恩院の御忌には、正月に行われていた時代、参詣の婦人が着飾って集まったため、「衣裳くらべ」とか、「御忌小袖」といわれたそうです。室町の呉服屋は、この参詣者の衣裳の傾向を見て、その年の流行を決めたといわれていますが、今その風習は、なくなっているようです。