S.Kitazono

簡単プロフィール


常勤

昭和59〜61年・・・千葉県成田市 鳳生会 藤立病院勤務 → 現在は成田病院
            当時リハ科では「竹内孝仁先生」を招き、「老人ケアー研究会」
            を毎月開催していました。

昭和61〜平成8年・・・千葉県千葉市 健脳会 千葉脳神経外科病院勤務
            課長の肩書きはあっても、実質一人職場で、数千の急性期
            患者を治療しました。通常PTが一生かかっても診れない数で
            「質と量の共存」はこの時からの課題でした。
            ※「脳卒中の予防と治療」の本ではリハビリを担当しました。
            ※「脳ドック」を流行らせた元祖の病院です。

平成8年〜12年・・・千葉県袖ヶ浦市 さつき会 袖ヶ浦さつき台病院勤務
            精神科と一般科を兼ねた病院で、管理職として勤務しました。
            同時に関連の介護老人保健施設を非常勤で立上げました。

平成12年〜   ・・・千葉県千葉市 晴山会 老人保健施設勤務
            管理人が経験に基づいて研究してきた
            全員参加型の「介護型リハビリシステム」を導入しました。 



非常勤

昭和60年〜62年・・・千葉県富里町 富里町(市)保健センター 在宅訪問リハ
            保健婦(師)と共に在宅を巡回し、機能訓練指導を行いました。

昭和62年〜平成12年・・・袖ヶ浦市 特別養護老人ホーム さつき会 菜の花苑
            重度痴呆老人が中心の老人ホーム。
            身体機能を高めて在宅に戻っていただく取り組みを行いました。          

平成1年〜   ・・・千葉県千葉市 介護老人保健施設 晴山会 晴山苑
            モデル施設として、国から第一号として認められた老健。
            同時に歩行ロボットを国内で最初に導入した施設です。
            「能力別集団リハ」を積極的に展開しました。
            ※小泉純一郎さんが厚生大臣の時に視察に来た施設です。

平成8年〜12年・・・袖ヶ浦市 介護老人保健施設 さつき会 カトレアンホーム
            立ち上げと共に「振分表」を考案して導入。成果を上げました。