「稲むらの火」 とは


最終更新 2007-12-23


不朽の防災教材として知られる「稲むらの火」とは、
「恐ろしい津波の危険が迫っていることを高台の上で気づいた庄屋が、そうとも知らずに豊年を祝う秋祭りの仕度にいそしむ村人を救うために、刈り上げたばかりの籾のついた稲むらに火をつけ火事だと思わせて高台に呼び寄せ、津波から守った。」
という話である。

原作者は、ラフカディオ・ハーン、かの、小泉八雲である。

1854年、安政の南海地震のとき、和歌山県の広村にあった実話が元である。 広村は醤油の里で、物語に登場する老庄屋五兵衛は、実在モデルがいて、和歌山と上総銚子で醤油製造を行う豪商、現存するヤマサ醤油の7代目、浜口儀兵衛である。義兵衛を襲名する前の名を五兵衛、号を梧陵といい、当時35歳の壮年で、江戸と和歌山で半年づつの生活をしていた実業家である。

実際の南海地震は夕暮れ時に起きており、津波第1波に襲われながら、なお逃げ遅れている村人を救うために、梧陵は刈り上げたばかりの稲たばに火をつけ、避難の道標の明かりにする。その直後、最大の津波が村を襲うが、梧陵の働きで多くの村人が救われる。 梧陵が後世讃えられるのは、事後、私財を投げ打って海岸に堤防を作り、災害後の村人の賃とりを兼ねた地元の復興と、将来の防災としての備えをしたところにあり、梧陵が整備した堤防は昭和南海地震津波(1946年)では立派に村を守ったという。

1896年6月17日、東北地方三陸海岸で2万人もの犠牲者が出た明治三陸地震津波が起こる。この悲惨さな災害に触発されて、ラフカディオ・ハーンは、神戸時代に仕込んでいたであろうこのネタで、「A LIVING GOD」 (生き神様) という短編を書いた。これを短編集「 Gleanings in Budda-Fields 」 (仏の国の落穂) に収録して1897年ボストンとロンドンで同時出版する。 この「A LIVING GOD」をもとに、梧陵と同郷の中井常蔵が「稲むらの火」として書き直し、文部省の教材募集に応じ、昭和12年(1937年)の国語読本巻十に採用される。これが「稲むらの火」が世に出た経緯である。

ゆったりとした長い揺れのあとの大津波は、明治三陸津波の姿である。
梧陵の日記から読むに、安政の広村の津波は、事前に潮が引くことなく襲っている。
(文責 小澤邦雄)



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  「稲むらの火」の Web Page ・小学国語読本
  「稲むらの火」の Web Page ・A LIVING GOD 英文text


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