ラジオ「夕日のかなたに」1999年11月7日放送分
「人生の痛み」 |
こんにちは。「夕日のかなたに」札場義宣です。お元気にお過ごしでしょうか。
最近は、ヒーリングつまり「癒し」という言葉をよく耳にするようになりました。
疲れや心を癒してくれるような音楽、ヒーリングミュージックは、CDがとても
売れています。先ほど聞いていただいた、僕の聖書学校の先輩が歌っている「大
丈夫だから」という曲も、ヒーリングミュージックと言えるかもしれません。そ
の歌の中で彼がいちばん伝えたかったのは、「君は一人じゃない イエスが(イ
エス様が)君といる」ということです。
聖書の中に、イエス・キリストのことを書いた、このようなことばがあります。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは
思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私た
ちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲ら
しめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
(旧約聖書イザヤ書53章4−5節)
イエス・キリストが十字架で死なれたことを知っている方は多いかもしれませ
んが、その十字架の意味を知っている方は少ないでしょう。今の聖書のことばを
読みますと、彼、イエス・キリストは「病を負い」「私たちの痛みをになった」
「私たちの罪のために刺し通され、砕かれた」と書かれています。そして、その
結果、「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私た
ちはいやされた。」と書かれています。
イエス様の十字架は、私のあなたの、罪と痛みをになうもの、私たちに平安をいやしをもたらすもの
なのです。
人生の中で大きな痛みを背負ったけれども、キリストを信じてその後の人生が
変わったある人を紹介しましょう。
それは、あの「
坂本竜馬を斬った男」として知られている今井信郎(のぶお)という人物です。幕末に活躍した坂本竜馬は、1867年12月、京都河原町の近江屋
に中岡慎太郎といっしょにいた所を、京都見廻組によって襲われ、殺されたとい
うのが定説です。この見廻組の一人に、当時26歳の今井信郎がいました。誰が坂
本本人を斬ったのか、色々な見解があるようですが、後に今井本人が書いたもの
や家族にそっと告白していることなどから、やはり今井が斬ったというのが確か
なようです。この事件はどちらが悪いというよりも、時代の生んだ悲劇と言える
でしょう。今井も坂本も時代の犠牲者であります。
さて、時代は移り変わり、今井はお茶の仕事を始めます。そして、結城という
当時の静岡教会の伝道者に出会いました。結城は新撰組の生き残りでありました
が、もともと見廻組で同じ釜の飯を食った仲でした。こうして今井は静岡教会に
出席するようになり、1882年10月にキリストを信じ、洗礼を受けたのです。
クリスチャンになって今井はがらりと変わり、謙虚な人物として人々に認めら
れ、村長や校長なども勤めました。昔は、剣術指南であった彼ですが、頼まれて
も、「あれはためにならない」と見向きもしなくなったそうです。
昭和39年6月11日付の東京新聞夕刊に、クリスチャン村長今井信郎のことが載っ
ています。「明治の末年、遠州金谷の村長に白い八字髭をはやした品のよい老人
がいた。熱心なキリスト教信者で、篤農家としても知られていた。温厚で、人ざ
わりがよく、村民からも尊敬されていた。」
今井信郎は
大きな人生の痛みを抱えながらも、回心し、キリストに癒され、平安をもって人生を全うした
のです。ちなみに、坂本竜馬の甥にあたる坂本直寛は北海道開拓を指導し、また牧師としても活躍しました。
人生の癒し、歴史の癒しもただ神から来る
のです。
みなさんはいかがでしょうか。人生の痛みを抱えておられる方のために今、特
別に一言お祈りさせてください。
「神様、あなたは私たちを愛しておられる真の神様です。また、イエス様が私の罪のために十字架にかかって死なれたことを、
今、信じます。どうぞ罪を赦してください。そして私の人生の痛みを癒し、平安
を与えてください。イエス様、ともにいて下さい。。イエスさ様のお名前によっ
てお祈りします。アーメン。」
それでは、みなさんの上に平安がありますように。さようなら。
*実際に放送されたものに若干加筆修正しました。