ラジオ「夕日のかなたに」1999年3月28日放送分
赦すことは赦されること |
こんにちは。夕日のかなたに、札場義宣です。3月も最後の日曜日となりました。
だんだんと空気も暖かくなってきていますが、皆さんの心はいかがでしょうか。
先週は「赦すことができますか」というタイトルでお話ししましたが、赦すこと
のできた方の心は、今とても温かいのではないでしょうか。今週も続けて「赦し」
についてお話します。今日のタイトルは「赦すことは赦されること」です。なぜ、
このようなタイトルをつけたかと言いますと、聖書の中に、
「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」
(ルカの福音書6章37節)と書かれているからです。
皆さん、もし世界に「赦し」というものが存在しなかったとしたら、どのような
世界になっているでしょうか。憎しみは限りなく、永遠に続き、社会は殺伐とし
たものとなるでしょう。戦争は絶えず起こり、どちらかが消滅するまでやまない
かもしれません。夫婦というものは存在しないかもしれないですね。1度けんか
したら赦さないのですから、結婚即離婚は当たり前でしょう。友情という言葉も
すでに過去のものとなっているでしょう。
いやな世界ですね。こんな世界には住みたくないですね、と思いますが、ふと今
の社会、世界を見ると、あれ、同じような状況じゃないか、と気づいたりもしま
す。
つまり、実は多くの人が、憎しみに満ちて赦せないという心を抱えているのです。
この心は、私たちの人生を、ひいては社会全体を、誤った方向に導きます。また
人は、時にはその赦さない憎しみの心を、自分で大事に抱えて、心にペットのよ
うに飼うことさえもあります。これは心の病気といえるかもしれません。そのた
めに
「赦し」という「癒し」が心に必要なのです。
先週は、僕の中学生の時の体験をお話させていただきましたが、今週は最近のこ
とをお話しします。
僕は、ある時、自分のうちに、ある人に対する怒りと憎しみの種があることに気
づきました。いや、気づいていたのだと思うのですが、敢えて放置していたので
す。まあ、あまり会わない人であれば、抱えていても大丈夫なような気がするも
のです。しかし、だんだんと苦しくなってきました。憎しみを持っていると、本
当は自分の心が一番苦しむのです。
人の心は、本来、神様にあって、人を憎むために造られているのではない
からです。
僕は、イエス様から力をいただいて赦すことにしました。悲しいかな、赦したく
ない、という感情が内にはありました。が、でも祈りました。「イエス様、赦し
たいのです。赦させてください。いや、赦します。どうぞ、この憎しみと怒りを
取り去ってください。」何度かそのようなお祈りをしました。そして、今はその
憎しみが不思議にも消えてしまいました。心は軽やかになりました。
自分が人を赦したのですが、逆に自分の心が赦された、癒されたと感じるのです。
聖書の言葉の通り、赦す時、自分も神様に赦されるのです。そして心が癒される
のです。赦しには、他人だけでなく、自分自身をも赦し癒す力があるのです。
実は、今日3月28日は世界中の教会で、受難週の始まりとしています。それは、
イエス様が十字架の上で私たちの罪のために苦しみを受けられたことを覚える
一週間です。
イエス様の十字架は私たちの罪を赦すためでした。憎しみや怒りは十字架の上に釘付け、そして、赦しから始まる平和を築くためでした。
人は心が癒されるために、「赦し」が必要です。赦すことが必要です。あなたは
いかがでしょうか。僕は、赦せないと思っていた人を、神様に力をいただいて赦
すことをさせていただいた時に、心が癒されました。
ですから今日、あなたもイエス様の十字架によって罪が赦されることを受け取っ
て下さい。そして、今度は人を赦す力を求めてください。人を赦すとき、あなた
も赦され癒されるからです。
長くあなたを捕えていた、憎しみから、今日、解放の時が来たのです。
今、僕がお祈りしますので、どうぞあなたも心を合わせてお祈りして下さい。
「イエス様、あなたが私の罪を赦してくださることを今、信じます。また、私の
内にある、人への怒りと憎しみの罪をも赦してください。そして、そこから解放
してください。今、その人を赦すことをあなたの前に宣言します。赦しの力をあ
らわしてください。私の心を赦し、癒してください。イエス様のお名前によって
お祈りいたします。アーメン。」
今週、あなたの上に神様の赦しの祝福がありますように。それでは、さようなら。
*実際に放送されたものに若干加筆修正しました。