ラジオ「夕日のかなたに」1998年2月8日放送分
孤独の中にある人へ
こんにちは。「夕日のかなたに」札場義宣です。
長野オリンピックがついに始まりました。スキーにスケート、ウインタースポーツ
のオリンピックも、なかなか見ごたえのあるものです。特に、日本選手が登場する
と、テレビにかじりついてしまいます。やっぱり日本人なんだなと、思わされます。
ところで、このオリンピックに出場する選手たちは、厳しい練習と自己管理の中で、
この晴れの舞台を踏むわけですが、彼らはその途上で、大きな
孤独感を味わうと聞いたことがります。良い結果を出せば、周りの人々は喜んでくれる。しかし、期待
外れの成績だった時、人々は離れていってしまう。結局は、孤独な自分との闘いだと
感じるそうです。そのような中にいる時に、本当に力になるのは、成績の善し悪しに
関係なく受け入れてくれ、そのままの自分を理解してくれる人、家族や友人です。そ
の励ましの中で、目標を持って前進しつづけた選手は、栄冠を得ていくのです。
しかし、もしスポーツではなくて、
人生において、孤独となるならどうでしょうか。聖書の中に、ヨシュアという人物がでてきます。彼は、イスラエルのリーダーとして
立てられた男です。先のリーダー、モーセは優秀なリーダーでした。80年間、数百万
人もの民を先導し、荒野で生き抜いてきました。しかし、このモーセが、目的地であ
る新しい土地を目の前にして亡くなってしまいました。ヨシュアは一度に、両肩にず
っしりと重い責任をになうことになったのです。彼は一人で皆の前に立たなければな
らなくなりました。ヨシュアはこの時、強く孤独を感じたことでしょう。
私たちは、人生の中でいろんな時に孤独を感じます。年令に関係なく、孤独を感じま
す。前途有望なはずの中学生や高校生が、誰にもはっきりとした理由の分らないまま、
自分で自分のいのちを取ってしまいます。誰にも相談できない、誰も気づいてくれな
い、
本当に一人ぼっちだと感じる時に、人はたとえ若くても生きていく力を失ってしまうのです。
裕福な人も、貧しい人も、高い地位にいる人も、その地位をうらやましく思っている人も、孤独という問題と戦うことがあります。ヨシュアもそうでしたが、
意外に、リーダーやパイオニアというのは、孤独なものです。みんなの前ではしっか
りしているように見せなければならない、自分が頑張らなければ、と自分を鞭打ってい
る方々もおられるでしょう。
ヨシュアも、これからどうしようかと思案していました。その時、神様がヨシュアに声
をかけられました。旧約聖書のヨシュア記1章5節を読んでみます。
「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。
わたしはあなたを見放さず、あなたを捨てない。」
わたしがあなたと共にいる。わたしはあなたを決して見放さないし、あなたを決して捨
てない。神様は、ヨシュアにそう語られたのです。ヨシュアは、どれだけ慰められ励ま
されたことでしょうか。
自分一人で頑張らなければ、と思っていたけれど、神様が共にいて下さる。
人々は自分の一挙一動でそばに来てくれたり、遠く離れていったり。でも神様は見放さない、見捨てない。ヨシュアは、この言葉に励まされて、数百万の民を新
しい地に導びいていきました。神様が何度も何度も「わたしが共にいる」と語って、ヨ
シュアを力づけられたと、聖書には記されています。
今、放送を聞いておられる方の中にも、深い孤独の淵に立っておられる方がおられるか
もしれません。しかし、覚えて下さい。真の神様は人格を持っておられ、私たちの心を
知っておられる方です。共にいたいと願っておられる方です。イエス・キリストは、こ
の世を去る時、私は世の終わりまでいつもあなたと共にいる、と約束されました。今、
イエス様を呼び求めるなら、あなたの孤独は解決します。
ごいっしょにお祈りしましょう。
「イエス様、どうぞ孤独の中にいる私と共にいて下さい。あなたの前にこの重荷を下ろ
させて下さい。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。」
この放送を聞いておられるすべての方に、神様の祝福をお祈りいたします。それでは、ま
た来週。さようなら。
*実際に放送されたものに若干加筆修正しました。