ラジオ「夕日のかなたに」2000年3月12日放送分
「創ることのできないもの」 |
こんにちは。「夕日のかなたに」札場義宣です。
先週は、DirecTVの「シャローム造形教室」という番組を見て感動したと
いうことから、「創ることができる」というタイトルでお話ししました。皆さん、
創造的な1週間を送られたでしょうか?「創る」ことができるのは、喜びですね。
しかし、人には限界があります。それを知ることは大切なことです。そこで今週は、
「創ることのできないもの」について考えてみたいと思います。
「創ることのできないもの」1つ目は、「自然」です。
先週、トンボの羽の絵のお話をしました。その羽にある模様は見事な創造の業です。まさに神が創り上げた
ものです。一方、これも先週のお話に出てきましたコンピューターの犬はどうでし
ょうか。こちらも、内部の回路は緻密で精密、すばらしい出来映えでしょう。でも、
この二つには大きな区別があります。一方は自然のもので、一方は人工のものです。
この境は超えられません。この決定的な区別の理由は二つあります。第一に、「い
のち」があるかないか、ということです。「自然」は、まさに「いのち」に満ちて
います。しかし、
人はどんなにがんばっても「いのち」を創り出すことはできません。
第二に「無から有」(「無い」状態から「ある」という状態へ)というプロセス
を通っているかいないか、ということです。「自然」のものは、ある時に「存在」
を開始しました。そこには、神の偉大な御業による「無」からの「創造」があるの
です。
人は多くのものを創り出しますが、その材料はすべてすでに「自然」に「有る」ものです。
このことを認める時、創造者なる神の前に、人は小さな者であることがわかりま
す。この世界で、宇宙で、人は、自分がもっとも偉いと錯覚しがちですが、自然を、
世界を、宇宙を、私たちを創造された、
創造者なる方こそ、すべての中心であることがわかります。
さて、
「創ることのできないもの」の二つ目は、「新しい心」です。記念すべき2000年も、すでに10分の1が経過しました。新しい年の初めに、色々なこと
を決心された方も多くおられることでしょう。今年こそ、と堅く決意したこと、今、
どうなっているでしょうか?実は、私たち人間にとっていちばんの悩みは、自分自
身の内側のコントロールです。色々なものを創り出すことはできますが、心を制御
する装置、新しい心に入れ替える装置は、何千年たっても登場しないでしょう。な
ぜなら、
私たちの内側の領域は、私たちを創造された神の領域なので、私たちには新しいものを生み出せないのです。
しかし、「創ることのできないもの」は「与えられる」「いただく」ことができます。神こそ、新しい心を創り出し、私たちに与
えることのできるお方です。
聖書で神はこうおっしゃっています。
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、
あなたがたに肉の心を与える。」エゼキエル書36章26節
私たちの創造者である神様は、2000年前に、イエス・キリストをこの世界に
遣わされました。そして、キリストを通して創造者である神様に立ち帰る道、私た
ちが新しい心をいただく道を備えられました。私たちの創り出せないものを神は与
えて下さるのです。
私たちは、なんでも創り出せるというような、傲慢な思いは捨て去りましょう。
創造者である神を認め、キリストにより新しい心を受け取ってまいりましょう。そ
の時、新たな創造の御業が、あなたの内に始まるのです。
最後に一言お祈りさせてください。
「私たちの創造者である神様、人にはできないことが神にはできることを感謝いたします。新しい心を今、求めます。私の内側
に創造の業を始めてください。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたしま
す。アーメン。」
新しい創造があなたの内に始まりますように。それでは、さようなら。
*実際に放送されたものに若干加筆修正しました。