メッセージヒント

「絶対的基準と相対的基準」

 

絶対的基準と相対的基準ということについて、最近経験した一つの小さな出来事から

説明しましょう。

 

車でスーパーに買い物に行った時のことです。駐車場の真中の列の一番右端が空い

ていたので、そこに車をバックさせました。左隣の車の運転席がちょうど横にくるあたりで

車を停めて降りました。ドアに鍵を掛け、ふと車の後方を見ると、白線から車の後部がか

なりはみ出しています。アレ、しまったな、と思いつつも、すぐ済むから、と店に入りました。

 

買い物を済ませ店から出て、改めて車を見るとやはり後部が白線からはみ出ています。

ちゃんと隣の車に合わせたのにと思い、車の前方を見ると、僕の車を含めて綺麗にフロ

ントガラスの位置がそろっています。左隣の車はもちろん、その隣の車も。おかしいなあ、

とつぶやきながら、もう一度はみ出ている自分の車の後部を見ました。そして隣の車の

後部に目をやると、なんと隣の車もはみ出ているではありませんか。そうです。すでに

はみ出ている隣の車に合わせた僕が悪かったということです。

 

でも、まだ僕には解せない事がありました。隣の隣の車もさらにその隣もフロントガラス

はピッタリ合っていたからです。僕の運転席から左側を見ると、隣もその隣も運転席が

ちょうど真横に並んで見えました。いくら何でも、そんなに何台もはみ出していることに

気づかずに停めるだろうか?そこで、僕が運転席の位置を合わせた隣の車の、その隣

の車、つまり二台横の車の後部にやっと目を向けると、何とその車は白線からはみ出て

いません!さらにその隣の車もそうでした。ピタッと白線に合っているのです。驚きと共に、

なるほど、と思いました。白線からはみ出ていないその車は軽自動車だったのです。

 

僕の隣に停まっていた普通車はすでに停まっていた隣の軽自動車を見ながら車を駐

車し、白線からはみ出てしまいました。僕はさらにそのはみ出ている車に合わせて同じ

ようにはみ出るという失敗をしたわけです。僕は隣の車を見るよりも、もっと大事なこと、

白線を見て駐車するということを怠っていたのです。

 

これは実話です。そしてこの場合、絶対的基準とは白線、相対的基準とは隣の車です。

絶対的基準は変わりませんが、相対的基準は変わり得るのです。神様は、また神のこと

ばである聖書は、私たちの人生の絶対的基準です。相対的基準も大切ですが、人生に

おいて、絶対的基準はより重要であると思うのです。

 

「主を恐れることは知識の初めである。」 箴言1章7節

 

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