因習の村
私のアタマの溜池
その村には暗い因習が生きている。 わたしはどうやら 「お父っつぁ」である。
美しく育ったむすめが長い年月をかけて樹木の栄養となったわたしに心で語りかけてくるのだが、生憎いまや「
お父っつぁ」 というよりも既に気持ちのほとんどすっかりが「樹木」となっているため、さほどの悲しさも嬉しさも感じない。一本の樹木に宿った「わたしたち」は、もうほ とんど人間的ではない。ひたすらに雨の降るのを楽しみにしていた。家族たちのことは、もうあまり、どうでも良かった。